たいせつなこと・・とは・・心のあり方で、なかなか取り返しがつきません。 |
書きます。
古田敦也選手をはじめて見たとき
すぐ漫画キャプテンの谷口君と重なりました。
当時は
めがねをかけて坊主頭の
古田でした。
野球漫画では
どうしても星飛雄馬やどかべんより
キャプテンが好きでしたから、
古田のめがねの奥に
谷口君のように
きらりと光る「頭のよさ」を感じ、
それからえらい古田選手に入れ込みました。
ほとんどの人が彼に注目する前の話です。
ソシテそのときのヤクルトの監督が
野村克也氏でした。
野村氏に関しては
ベンチで細いメモをとり、
いわゆる長島巨人の
直観エンターテイメントの野球ではなく、
”考える野球”でした。
コレだけ緻密に観察と考察をかさね、
自分の理論を構築したひとなら
きっと誰かに教えたくなる・・と
思っていました。
そのときちょうど
野村氏の理論の文脈を理解できる
青年が現れたのですから
彼はきっと自分の知ってるかぎりを
教えたくなる・・・と
思いました。
うちの父ちゃんは熱烈な巨人ファンなのですが
わるいけど、
華麗なプレーをしても
長島は自分のことしか頭になく
アホだし
野村のように選手を育てる知性も技量もない
長島がいいとは
ちょっとも思いませんでした・・・(笑い)
案の定古田はめきめきと頭角を現し、
名キャッチャー野村を後継していきました。
ソシテ野村も
サッチー事件にもめげず
今も現役の監督として
活躍しています。
コレはほんとうに凄いことで
張本がテレビでいくら”喝”と叫んでも
野村のすごさには遠く及びません。
ただひとつ
さまざまに辛酸をなめてきた野村に比べ
古田はまだまだ優等生からぬけ切れず
そこの毒のなさが彼の未熟さにも見えます。
だから、
彼がほんとうに野村の真価を理解するのは
おそらくもっと
歳をとってからのように
思います。
※教える⇔学ぶということの深さには
自分の醜態をさらして・・ということも
含まれていますから・・・。
自分の醜いところも全部差し出す。
それが教える・・ということの深さです。
ソシテもうひとつのお話。
二人のオリンピック選手がいました。
彼らはおなじ高校の同窓で
オリンピックの体操競技で
メダルをとりました。
その後ひとりのほうは
テレビタレントとして
芸能界で華々しく
活躍していましたが、
現在はほとんどその名前すらききません。
もうひとりのほうは
母校の高校の教師になり、
体操競技の時にコーチとして
最近
久しぶりにテレビで
顔を見ました。
彼が母校に戻り
高校の教師になったという話を聞いたとき、
わたしも娘も
素敵だネエーと話しました。
きっと体操が大好きで
だから自分が磨いた技を後輩に教えたくなる。
後輩が成長していく様子は
きっと喜びになったでしょう。
ちやほやともてはやす
世間の甘言に溺れることなく
自分の道をしっかり歩こうとしていて
ステキだなーと
思いました。
彼は立派にその技術を
次に、未来につなぎました。
それは目立つこともなく、
極めて地道に為された行為です。
先日谷亮子選手に対して
かなり苦言を呈しましたが
色々ご意見(コメント)を下さったのであえてまた
書きます・
ほんとうに彼女が柔道を愛するなら
自分に勝った後輩に道を譲るべきでしょう。
いくら柔道協会の方針がそうでも・・。
勝ったのに
日の目を見ない後輩の心の悲しみを
感じられないのでしょうか。
また、
そういう相手の骨を折るようなことをすることと
オリンピックに出ることと
どちらが優先なのでしょうか・・?
もし彼女の子供が同様のめにあったとき、
傷ついている子供を前にして
”いい経験なった”という
谷選手のような人間を
どう感じるでしょうか・・。
私が親なら断然
抗議行動をします・・・許さなーイと・・・(子供苦笑い!)
オリンピックに出るというだけで
大学入試を免除され
大学の学びも適当で
ほんとうに学びたいなら
大学は研究機関ですから
柔道を研究できる
体育系の大学こそ
ふさわしいでしょう・・。
多くの日本人は大学という
学問を研究する機関を
履き違えています。
わざわざ帝京にコーチごと
丸抱えしてもらい
広告塔になることは
一人の人間として
おかしくないか・・と私は言いたかったのです。
そういう待遇をうけながら
彼女は何かを勘違いしていったと思います。
(私からみれば、まっとうではなくなった・・。)
もちろんそういう事にお金を使う
帝京大学も
大間違いです。
学校の充実こそ宣伝になるでしょうに・・。
金メダルを取ることと
引き換えに大学入試で
そういうズルをすることは決して
その子の人生に
良いこととはおもえない。
ホントに柔道を極めるなら
大学にいかなくてもいいじゃあー
ないですか・・?
それは他のスポーツでも
同じです。
また
未来のある若者達の才能を
金銭で取引することそのものが
やがてはその子の心の傷として
劣等感として
心の深層からは拭い去れないでしょう。
そういうことがあたりまえのように
まかり通る
ゆがんだ資本主義社会を作ったのは
私達大人の責任です。
よき人材を育てる事は
お金では出来ない・・。
柔道さえしていれば
金メダルさえとれば・・というのは
たいへん偏った
考えだと思います。
そういうことが
平然とまかりとおる
日本の文化や知性の稚拙さを
ほんとう深刻に思います。
オリンピックの裏に
莫大な利権や利得がうごめいているから
金、きん・・と
メダルを取ることに血道をあげていますが
そういう利用価値が一切なければ
たかが、オリンピックでしょう・・・?
地道なスポーツの競技大会で・・・すむのに。
柔道で
同様に負けたのに
代表になったほかの選手も
同じようにおかしい!
彼らも
優勝した人に
代表を譲るべきだと
思います。
それが
まっとうな人間のすることでしょう。
しかし
いちばん苦しいのは
もしかしたら
代表に選ばれたほうかも
知れません。
ほんとうは
彼らの精神のほうが
心配です。
そして、
大切なことは
そういう風に道を間違えて走り出したこころのあり方は
どんどん深みにはまり、
気がついたときには
そういう意識の中でしか
生きれなくなってしまっているのです。
谷選手が悪気があって
”いい経験になった”といったのでは
アリマセン。
彼女の心の中が、もう
自分の在り方のおかしさや、
勝った選手の心を思いはかる、ことができない
そういう
心のメカニズムになってしまっているのです。
だから瞬間的に
言ってしまった。
このことに気づき
自己修正するには
谷選手が覚悟を決めて
自分が失うものがあることを
承知で
周囲と戦わなければ
手に入らないでしょう。
親をはじめ
柔道関係者
マスコミそして
世間との
戦いです。
でもね
私は
ボロボロになっても
戦いとった自分の存在の真実
(自己アイデンティテーの回復)は
彼女のこれからの人生に
おおきな光となると思いますよ。
一人の人間として
自分のほんとうに大切なものは何かを
とりもどせたらね。
日本は
いつの間にか
お金本意になり
何かを間違えてしまいました。
メダルと引き換えに
選手を特別優遇する、
未熟な国家や
独裁の国々が
どんなに病んでいるか・・私達なら
わかるのに
おなじ轍を踏んでいる。
人間は使い捨てじゃあありません。
自分の意思でコマーシャリズムに乗るのも
いいですが、
私は
大人として
モット自分を大切にてほしいと
思います。
勝つことばかりが大切ではありません。
それにもう
オリンピックは
コマーシャリズムや
国家権力の道具として
グレーどころか
真っ黒に薄汚れてしまいました。
野村克也氏は最初は
テスト生として南海に
入団しました。
古田敦也選手は
ドラフト会議で指名を約束された球団に
裏切られ、
どの球団からも指名を受けることはないという
とても厳しいところから
出発しました。
二人ともが
ほとんど注目されない
マイナスから
出発しました。
そこには"じぶん”という
土台がありました。
もちろん体操の西川選手もです。
人生という長い道のりを
どういう風に歩くか・・を
見せてくれている
二人です。
今日はたくさん書きましたが
いつか
書こうと思っていたのが
ようやく
実現しました。
これが私の考え方であり
人間観です。