ちょっと重たい家族のはなし。 |
台湾から帰ったらすぐに平塚で
また女性が無差別に人を殺傷しようとした・・
という事件が起きていた。
自分と父親との確執のはけ口に
ナンも関係ない人を
斬りつけようとした・・ということだ。
ああ、やっぱり日本の家族の問題が
ここまできたか・・という感じです。
私の人生も考えてみればいつも
家族のことをどうするか・・という問題で
苦しんできたように思う。
家族と言うのは
人間関係の一番熾烈な関係で
裸の人間の欲や利己心が
赤裸々に顔を出してしまう関係です。
人間がその外的仮面をはずすのが
家族に対してだけであり、
特に子供は親の支配欲や感情の犠牲になる。
それでも現状は
自分が帰る場所であり
存在の基点としてなくてなならない・・という
桎梏の場所です。
だから何よりも
家族の中で
そのむき出しの自分の感情を
どうコントロールするかが
考えられねばならないが、
残念ながら
そういう家族の現実に対す冷徹な視点に欠けるのが
この国です。
そして本当に危機的なのは
戦後の核家族化のなかで
家族以外の人間との交渉が希薄になり
家族の密室化が更に進行していったことです。
またこども達も無差別にお互いが自分を交換し合う
遊びの場を奪われ
また家族から逃げる場も遮断されて
本当に息の詰まる家族関係のなかで
息を潜めて生きているひとたちは
潜在的にたくさんいるでしょう。
いまの社会はそういう家族から離れて
自立的に生きる・・ということすら
経済的に厳しくなっており、
若者の働く場所が極度に狭まり
またバカ騒ぎをするとか
お祭りで発散するなどの
精神的に解放される場もほとんどない。
つまり若者の逃げ場がない・・ということを
為政者や心あるものが気づかないと
ほんとうにヤバイよ。
本当はね
家族なんていつも崩壊の危機を孕みながらも
かろうじて維持されるくらい
大変なものなんですよ。
でもね、
家族はお互いに縛りあい
また
憎しみあいながらも
そういうぎりぎりのところで
自分達はどうしたらいいか・・と考えるのも
人間が人間たるゆえんだと思います。
今回の事件やほかの無差別殺人事件でも
もう逃げ場のなくなった人間が
自分の家族を他人に投影させて
代理に殺傷しているように思います。
家族なんて崩壊してもいいんです。
家族なんてものに
縛られなくてももいいんです。
ただ
人間は
”人のなかでしか生きれない”
”人間は自分以外の人間を必要としている”という
人間の”原理”をどう克服していくかは
考えましょう。
以前にもご紹介しましたが
”非所有の所有”という美しい言葉があります。
谷川雁という思想家の言葉だったと思います。
所有しない事で
すべてを所有する・・という
人間の心の空間の話です。
人間が自分以外の人間を手放し
相手の存在の自由を尊重したときこそ
自分自身も解放されるということです。
自分と同じように
ただ一度きりのかけがえのない他人の人生を
自分のために浪費させてはいけない。
またそのエネルギーを奪ってはいけない。
そして
私達大人が
そのエネルギーを循環させる社会の仕組みを
作らないと
この国の人材は生まれてこないと
私は思います。