すたすたと行く。 |
こんなものを買ってしまったのろう・・・?
ハテ・・・。
というくらい数ヶ月前の自分と今の自分に
変化がある。
以前の自分がつかめないくらい
私自身の変化が激しい。
それは人間が常に変化していると言う事が
実証されているように
感じます。
数ヶ月・・というか
おそらく、6月くらいのことで、
ちょうどその頃
アル決心をしたおぼえがある。
10月の展覧会を成功させるために
優先順位を絞り込んでいき、
本当に必要な物、事いがいは
”捨てる”
どうでもいいことに神経をつかわない。
また自分の軸を打ち立てるために
自分独自の価値観で生きる。
・・・とまあこういう風なことを
心に刷り込んだわけです。
とんがってしまった頭の中は
いよいよソリッドになっていて
どうでもいい・・ことは
そのように扱う。
その結果
頭の中は
今ほんとうに大切な事はなにか
この展覧会をはじめ自分が意気に感じる事
また私だからできる事は何かなどに
電流がながれている。
だからおよそ通俗レベルのことは
ほったらかされており
選択基準は
動きやすい、疲れない
行動の邪魔をしないなど・・で、
不必要な行為や
着るものをどうするかや
片付けとか掃除とか整える事や
他者との不毛な会話などは
ほとんど捨てられた。
こうしてみると
三ヶ月前には
まだ
装う事や
飾ることや
お付き合いする事にも
神経がつかわれていて、
その残骸みたいな品物が
冒頭の言葉です。
今まで
辻説法みたいにしつこく
"どう生きるか”を確立しようと
説いてきたが、
やはり
これに尽きるとおもいます。
今、ばあちゃんが終わりかけているけど
その終わるときに
この世の執着を捨てているか
いないかで
終わり方が決まってくる。
捨てていない場合はほんとうに見苦しい。
執着の強さは不幸につながる。
自分が身に着けてきた垢や執着を
ぽいぽい捨てて
身一つで
すたすた歩いていきたいです。
いければいいなあーと
思います。