焚くほどは・・・! |
私達人間の歴史は極端にいえば
情報を独占するものが権力と富を独占すると言う
ヒエラルヒーの構造の中で組織が維持されえてきた。
しかし今始まりつつある時代は
情報が権力や国家を超えて自由に獲得でき、
発信できるというあらたな枠組みのなかで
新しい関係や価値が生まれてくる可能性がある。
当然それでも情報を支配し
独占しようとする勢力が出てくると思うが
しかしモノの供給が飽和状態にあるなかでは
人間の意識の変化が起こらざるを得ない。
モノが行渡らない時代の格差の中から
さまざまな人間思想や宗教が生まれたが
モノが行渡りつつある今はもっと
しっかりした人生の目的や生き方の青写真が
必要になると思う。
豊かになることをめざしてきた人間が
豊かを手に入れた次は
なにを目標に生きたらいいんだろう・・。
もはやモノでは自分の心が満たされたない時代が
来るとしたら
私達は人生の文脈をどのように整えて生きたら
いいのだろう・・。
少なくとも今までは自分が執着する・・と言う現象を
分析しながら
自分の問題を洗い出し
人生を起動修正してきたが
次の課題はナンだろうと考える。
なんとなくいま私の頭に浮かんでいるのは
音楽や芸術や様々な文化が
パノラマ的に広がっている光景で
おそらく、人間がイメージしうる最高の
人間の感情(文化)の統合のような気がする。
人間の理性と感情の統合による
新しい精度と色彩と文脈を持つ豊かな人間の感情が
今までのような国家や人種や民族の対立軸を越えて連帯しうる
人間の世界観を創造する。
モノに執着した人間の自我や感情が解き放たれ
今は過渡的に自己執着や自己防衛が強化されるが
しかし時の推移と状況の変化の中で
きっと緩やかではあろうが
モノへの執着が薄らいでいくことが
自我や感情の膠着をといてゆくのではなかろうか。
そのとき今まで人間が積み上げてきた
文化の遺産が大きな意味と価値と力を持って
それぞれの国家、人種、民族を止揚するツールになるような
気がする。
科学の進化は更に人間の脳の謎を解き明かしていくだろうし
各学問の分野は目覚しく世界の闇に光を差し入れるだろう。
それはすべて
”人間とはなにか”
”生きるとはなにか”という
永遠のテーマに収斂してやがて
すべての人間がその精神性を尊びながら
共存できる時代が来るかもしれない。
こんなことを考えながら
ふと浮かんできたのが良寛の句。
「焚くほどは風がもてくる落葉かな」
良寛を召しかかえたいという長岡藩主の申しでに対して
答えた句です。
こういう欲望の取捨がごく当たり前になるような
そんな時代がくるといいですね。