母の遺品を片付けながら。 |
いろいろ思い出しそうになるが
気持ちをそらして淡々と作業する。
このところブログでは
自分の本心をかなりはつきり吐露しています。
対外的な配慮をして
すこし曖昧にしたほうがいいのかもしれませんが、
ほんとうに私は今の世のなかに嫌気が差してきているので
やはりズバズバとまっとうなことを書こうとおもいます。
母の死は近隣には秘密にしていたのですが
どうしてもお話しなければならない義理のある人に
話したとたんに
あっという間に広がってしまいました。
そっとしておいて頂きたかったのですが
その結果
母があれほど嫌っていた
白の葬式用花束の山となってしまった。
悲しい限りです。
テレビでもなんだかお互いを見張っているような
報道の意識で、
自分のことは棚にあげて人をつつくような
風潮に嫌悪が湧くことがあります。
母の遺品を片付けながら
人間はその一生が自分の自我との格闘だなあーと
改めて思いました。それと
世間の一般常識といわれている
たぐいとのた戦いです。
頭がボケてからの母の人生は
本当に私にしがみつくような
依存の生活で
私は常に母の視線を背中に感じながら生活していましたから
それが辛くて
度々怒鳴りつけました。
今思うと
きっと不安だらけで
自分の状態がどうしていいか
わけがわからなかったのだと思います。
モッとその不安を理解してやれば良かったなあーと思います。
人間はふたり以上になると
お互いが葛藤するといわれています。
互いが相手にたいして自分を受け入れるよう要求しまた
相手を心理支配したいという潜在的な欲望に支配されます。
私はこの他人への自己顕示欲や支配欲を
自分のなかなら意識的に取り除く努力をしました。
でもなかなかむずかしいかったですよ。
他人には他人の
一度キリしかない大切な人生の時間ですから
それはそのひとが自分の為に使わないと・・と思います。
でも他人と向き合うときは
極めて正直に心を開こうと
努力しました。
そのひとが
どういう風に自分の問題を解決したらいいかは
ヨーク見えましたが、
たいがいのひとは
解決するより
自分が傷つかず
辛い思いを回避するほうを選んで
ドンドン深みへはまっていくのも
たくさん見ました。
でも中には
自分の自我をねじ伏せて
解決の道を受け入れた人もいます。
その人たちは
自分の愚かさに気づいた次点から
どんどん晴れ晴れとした顔つきになり
より自分らしい道を歩き始めたと思います。
自分では気づいていない
自分の支配欲や自己顕示に
早く気づいて
捨ててしまえれば
最高です。
人間はみな
そんな自分との格闘をして
いきているんですね。