たいせつなものはゆずれない。 |
私は毎日夕方6時頃になると、
坂の上にしゃがんで
その下からから帰宅する父の姿を
待っていた。
その父が手に白い紙袋を持っていたら
おみやげの太鼓焼(今川焼き)がもらえる。
毎日ではないが、
私は毎日「きょはおおみやげがあるかなー」と
まっていた。
その頃は今から考えられないくらい貧しかったが
ほんとうにのんびりとしていた。
そしてそこにはきちんと
家庭が保全されていました。
それが高度経済成長期を経て
私達団塊の世代が親になる頃には
資本主義のグローバル化の中に組み込まれた
日本は、猛烈な経済現場の中で
父親は会社にのめりこみ
家庭は父親不在の母子家庭状態が
ふつうになってしまった。
家の父ちゃんも家をでたら
帰ってくるのは、夜中か明け方で
時には日曜日も父ちゃんはいなかった。
私はいつも心が不全のまま
父ちゃん及び会社が
自分の大切な家族、家庭を侵食してくるのに
がまんなりませんでした。
その頃からずーっと
働くことはなんのか
会社とはなんなのか
自分の精神領域まで支配する
日本の会社のあり方に
敵意すらやいていました。
会社から給料をいただかなければ
生活できない
だからそのためにはがまんをしなければ
ならない・・。
そういうことはどこか間違っている・・と
思っていました。
胸の中は非難と抗議がいっぱいで
でもそれは口にしてはならないことで
それを呑みこまなければならない。
父ちゃんにも何度も懇願し、
家庭と家族のほうを向いて欲しいと
何度も懇願しましたが、
聞き入れてはもらえませんでした。
おそらく団塊の世代は
私達家族と同じような苦い思いをしていきていた人が
たくさんいると
思います。
私は人間の幸福とはなんだろう、
一度きりしかない人生を
あきらめないで生きたいと
思っていたので
よけい
苦しんだのかもしれません。
普通のひとなら
そういう現実を
あきらめるか
しぶしぶ受け入れるかも
しれません。まして
会社と戦おうなんて
どうかしてる・・と思うかもしれません。
でもね
おかしいことはおかしい
なっ得できないことは
その理由を明らかにする。
自分の幸福や
自分の生き方は
自分しかつくれない。
ながいものなんかには
まかれない・・・。
そういう生き方をとおしてきました。
時々力つきます。
ときどき自分が萎えてしまいます。
息子が高校生か大学生かのときだったと
思います。
私は父ちゃんとの事で
どうしても納得できないことがあり、
会社に行き勤務中の父ちゃんを呼びだしました。
なぜなら父ちゃんは家ではまったく貝の様になり
口を利いてくれなかったからです。
会社にいるときだけは、
まともに話ができる・・というような
状態でしたからね。
そ日の夜
会社の人から私に抗議の電話が来ました。
それに応対している私の電話を聞いていた息子が
電話にでてくれ、
私たちのプライベートな時間には
どんどん侵食して来るくせに、
勝手なことばかり言うなと
応酬してくれました。
それでも
それでもねえ
よほどの場合じゃないと
わたしも抗議にいきません。
しかし
あの時もつと私が世間体を怖れず、
勇気を持って行動していたら
失わないで済んだかもしれない・・ということも
もうとりかえしのつかない・・と言うことも
たくさんあります。
それは今だに私の深い傷になっていて
時々うずきます。
最後はいつも思います。
気が狂っているとおもわれようが
常識はずれと思われようが
自分の大切なものは
ゆずれない・・。
だから
体当たりです。
そうして
生きてきました。
結果的には
家族を守ったと
思います。
父ちゃんのことも
守ったと
思います。