からだの孤独、続き・・・! |
からだとは生身の自分でもあります。
最近はつくづくからだだなーと
思います。
からだはどうしてもごまかせない
文明が進むにつれ頭とからだが分離している人間が
増えていきます。
自分の本音と行動の不一致
そのねじれのなかで
置き去りにされたのが
からだの感情です。
人間が一人では生きれないように
身体も一人では生きれません。
身体は他者の手が必要なのです。
誕生の瞬間から死までを
不連続に他者の手がささえます。
これは比喩的に言っているのでは
ありませんよ。
他人の体温のなかで
私たちは癒され守られているのです。
その温かさのなかで
私たちの神経細胞が発達し
ネットワークを作っていきます。
その血液の温度を共有しながら生きている。
大切なことは
そういう人間の限界を理解し
他者と触れ合うことです。
手をつなぐ
そっと触れ合う、
握手する
肩を組む
腕を組む
それだけでも
人はほっとします。
身体をかたーくして
人と触れ合うことができない人も
たくさんいるでしょう。
他人と触れると菌が移るとかの潔癖症の人も
いるでしょう。でもそれも
その人の自我が異常に防衛するまでは、
その誕生から少なくとも自我意識が成立するまでは
多くの人間の手で触れられ、
抱きしめられているでしょう。
他者から自分を防衛し
身体を固くして
ドンドンからだの孤独が進んでいきます。
封印された身体の感情は
ほんとうは他者とのふれあいを希求しながら・・も
その反動として他者を拒否し
怒りー憎しみーそして否定⇔強度の自己憐憫へと
自分を破綻させていきます。
でも
それほど絶望している裏には
それほど自分が愛され受け入れられることを
望んでいるのだと
思いますよ。
成熟した大人や社会なら
こういうパラドックスを理解するでしょうが
今の日本はまるで幼稚な、表面的で軽薄な精神文化が
はびこっています。
人間は生き延びていくために
文明や科学を発達させてきました・・と同時に
宗教や哲学や思想も同時に
様々な哲人や思想家や宗教家によって
考察と検証が為されてきたにもかかわらず、
まるで陥没したように
現代はそういうものが喪失されています。
難しい本を読み、自分で考察しを重ね
検証していくことより、
安易な占い師とか、霊能師や
スピリチュアルカウンセリングなにがしとかに
人々が殺到してなにかに依存し
人間は自分自身の手で人生を切り開いてくのだという
たくましい生命の力を見失っている気がします。
まあそれを嘆いても仕方がありません。
自分のからだによく聞いて
少しつづでも願いをかなえてあげることですね。
そしてね。
心を開いて
できたら幼稚園児のように天心に
人と手をつなげればいいですねえ。
言葉も同じように天心に
吐ければなおいいです。
特効薬は自分の人生の全肯定
自分の過去の全肯定、
いろいろ間違ったけど、まーいいや、
それも必要なことだったんだ・・と○をつけて、ね。
自己防衛というなんとも幼稚な甘えをとり、
自分の全身をつかって生きていくことですね。
そしてね、
自分の命がつきたらオシマイ。
長く生きようと医療で延命を図らず、
熟し、枯れて、朽ちていく、
移りゆくからだの流れに寄り添ってね、
それでいいと
私は思ってます。