弱さを共有する。 |
おそよ人を押しのけて出世しようとか、
少しでも目だって自分を売り込もうとか
有名になってたくさん稼ぎたいとか、
そういう通俗的なものとは無縁に見えた。
最後のフィナーレで出演者全員が
ずらりと舞台に並んだときも
二人は左端のところに並んで
控えめで、つつましかったです。
私の入院していた病棟でも
ほとんどの人は
やさしく、親切で
外来の患者さんの
ちょっと暗く硬い表情とは
対照的に
柔和でした。
多分それはみんなが傷を負っているという
弱さを共有していてためではないかと
私は思います。
人間は弱さを共有すると
優しいです。
痛んでる人を見て
ああ、いいきみだと思う人もいるでしょうが、
病棟の中はみーんな痛んでいるので
だからみんなやさしかったです。
もう中学生も
鉄拳も
子供の頃、弱虫だったのではないでしょうか・・?
本当のところは知ることはできませんが、
そういう影が彼らの中に見える気がします。
私はどうも、強くて立派なひとより
どこかヘタレている人のほうが好きで
音楽でも立派な理念と誇りに充ちている
ベートーベンより
へたれてもじもじしているシューベルや
とうとう自分の思いをクララに告げられなかった
ブラームス
それに
ブサイク№1のドボルザークの音楽のほうに
魅かれてしまいます。
人間も集団も組織も国家も
そこに
弱さを共有できているときは
まっとうな安心感がありますが、
強さや正統性を強く打ち出してくると
とても危ういものとなります。
今日は北朝鮮がミサイルを打ったそうですが、
もうボロボロに疲弊し、追い詰められている
道化のような国家、
高らかにうたうその理念と誇りの危うさに
哀れさえ感じます。
かの国の飢えた民衆を案じます。
人間の弱さを共有してこそ
生き延びていけるものだと
早く気づいてほしいものです。