風変わりで、変人! |
相当遅く、30代に入ってからで
地域の自治会の役をやった時は
決定的にそれを感じた。
私の両親は世間的儀礼的な付き合いを
ほとんどやらなかったし
自治会にも入っておらず
音楽や文学や芸術的なせかいを
ナニゴトにも優越して考えていたから、
そこを共有できない人たちとは
付き合わなかった。
そんな中で私は結婚後いきなり
”世間”というところに抛りだされたのだから
考えかたや、
やること、為すことが
世間とかみ合わず
それもどうしてかみ合わないのか
チンプンカンプンに分からなかった。
他人からは
「変わってるねえ・・」とか
「個性的だからね・・」とか
「芸術家だから、しかたないわよねー」とか
言われたが、何となく敬遠されているのがわかり
どうしたら"普通”になれるかと悩んで
隣の奥さんに
「普通になるには、どうしたらいいなだろう・・」と
いったとたん
「私たちは普通だからねー・・わからない」と
ものすごくイジワルな目で言い返された。
まるで漫画みたいだけど、
本人は
一生懸命普通になるには・・と
こういう服を着て
こういう時には
こういう風に相手に儀礼的に応対して
冠婚葬祭にはきちんとお金を包んで・・とか
もう
それは自分の一挙手一投足に
落ち度がないかとびくびく検閲し
自分の不用意な行為に怯え
大変な日々でした・・・笑い!
でもそうしたことが
いかに私の個性や能力をしぼませていったか。
多分50代のはじめくらいまで
そういうことから抜け出せなかったと
思います。
今から考えると
なーんてバカなことをしてたんだと
思います。
自分の才能を減らしちゃった・・・トホホ!
自分の頭には
両親がくれた
高い水準の文学や芸術の教養が
いっぱい詰っていたのに
それを自分が評価できず
そこを拠点に自分を積み上げることをしていたら・・と
思いますが
今の自分は逆に両親ほど世間とのズレがないから
まーいいかとも
思います
それに
そうはいってもやっぱり
独自の世界がありますから
楽しい!。
世の中がいかに
ばかげたことにエネルギーを使い
人間の能力を下げるほうに
お互いを縛りあい
見張りあって相殺しているか・・・。
自分の志があるなら
さっさと見切りをつけて
じぶんのことに専念してほしいと
思います。
そうすることが
やがては
ほかの人のためにも
役立っていくのだと
思います。
周りや世の中に合わせて
自分を平たくしないで
つっツぱっていようが
孤立していようが
自分の中にある
自分らしい才能を磨くことだと
思います。
わたしももう
なるべくこの世的なことには
オサラバして
自由に
奔放にいくことに
しました。
風変わり、
変人!
いいですねえ・・・。
いつも興味深い文章をありがとうございます
先日、ある競技大会に参加したのですが、
惜しくも入賞を果たせませんでした
そのとき、このブログで再三に渡り述べられていた、
「自己肯定」による力の解放を、
試合終了後に思い出しました
緊張や気負い、周囲の目など、
ある程度は克服していたつもりでしたが、
まだどこかで徹底できていませんでした
(完全な自己肯定状態では、
もはや「徹底する」という意識すら生まれず、
自然に行えてるんでしょうね)
身に刻まれた、貴重な負けでした