賢い生き方・・・大衆に消費される政治・・・・! |
その勝利の結果をみながら考え感じたのは、
「大衆に消費される・政治」と言うことで
議会制民主主義の最大の功罪は、
選挙かもしれない・・と
考えた。
自民党が勝とうが、民主党が勝とうが
いずれにしても、
選挙という大イヴェント化した政治、
ショー化してテレビ局が舌なめずりをする
ネタとしての選挙!
四年にごとに選挙と言うイヴェントを
繰り返しながら
政治も政治家も
大衆に消費されていく。
国家と言う大きな人間の群れを
いかに運営、経営していくかという大儀は
空のむこうに霞め飛んで、
政治家も官僚も目先のことに始終する
小市民化した今のこの国は
気まぐれな大衆の自己保存の実利意識の中で
翻弄される破船のようなものだなーとも
思う。
さらに今回にいたっては、
政治家のビジョンは全く見えず、
大衆に迎合し、拝跪して、
まるで道化やタレント化した政治家の群れに
日本がまるごと沈没したように
見えた。
ドロドロとヘドロのようになって沈没する自民党も
奇麗事をへいきで言う民主党のどちらも
またその周辺をウロウロする他の政党も
同属の出口のない迷路を徘徊するばかりで
あたかも政権を変えたら
隘路が拓けるような幻想に
しがみついている。
何とも哀れだと思う。
大衆は果たしてほんとうは
どう思っているのだろうか・・。
大衆は時に気まぐれで
自分の実利しか考えないがその
深い闇のなかでは、
決して愚鈍ではない・・。
私自身はこのありさまを
痛みを感じながら見ているが
同様に冷め切った大衆の中にも
愚かなる政治家を
消費しながら
この未明の大衆の中に
もしかしたら
埋もれた原石が潜んでいるかもしれないと
ほんとうにかすかな、希望も
私は捨てていない・・。
確かに行き詰って
日本は
変わろうとしている・・。
しかし
どう変わろうしているのが、
つかめない・・。
何となく確信があるのは
私たち団塊の世代の人間が死に絶えた時くらいから
あたらしい兆しが出てくるのではないか・・・ということだ。
デモクラシーも
資本主義社会も
もう相当くたびれきって磨耗している中から
あたらしいビジョンが生まれるかもしれない。
たぶんそれは
私が死んでからだなあーと
思っている。
賢い選択・・・それが
まるっきり見えない現代を
どう
生きたらいいのかなあ・・・。