遺言
2024-01-03T10:47:22+09:00
denshinbashira
跡形もなく消えていく為に遺す言葉
Excite Blog
会社は社員を犠牲にしない。
http://hashira.exblog.jp/242037136/
2024-01-03T10:47:00+09:00
2024-01-03T10:47:22+09:00
2024-01-03T10:47:22+09:00
denshinbashira
未分類
これは田下憲雄氏のメッセージ本にある、
経営者としての彼の
信念の言葉です。
同じようにに
国は国民を犠牲にするな。
これは、今の日本にたいする、私の怒りの言葉です。
そして、
国民は
国に依存せずに、各々の道を自立してあゆみ、皆んなでこの国を建て直せ。
これも、私の檄です。
今年私は,どんどん怒りますよ。
そして最後の贈り物として、
本の出版をし、映画をつくります。
映画は能勢広監督と一緒に創ります。
日本のみんなの為に作ります。
年末には本当に絶望感で死にたくなりました。
しかし、このままむざむざと死んでなるもかと思います。
今の日本は,何もかもダメです。
今建て直す為に一鍬をいれないと
いけませんよ。
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皆様のおかげで今年も命を繋ぐことができました。
http://hashira.exblog.jp/242037086/
2024-01-03T09:31:00+09:00
2024-01-03T09:31:16+09:00
2024-01-03T09:31:16+09:00
denshinbashira
未分類
国内はいよいよ閉塞さ疎外感や無力感深くなる中、
政治家の腐りがいよいよ醜悪する。
日本がだんだん壊れてゆく。
そして
新しい年が明けた。
しかしそのとたんに大地震が
来た。
今も避難所におられる方や、家が壊れ焼失し、断水や停電の中で耐えておられる方々を思うと、
新年を祝う言葉がない。
ただ被災された皆さんも懸命に、頑張っておられる事を思い、
やっと自分の心を建て直す。
何をしたらいいのか、
反対に私に何ができるか。
この国をなんとかせねば。
しかし、身体の中に鬱が広がっていく。
自分を思い,他者を思い、
何かを手探る。
◯
皆様のおかげで今年も命を繋ぐことができました。
深く深く感謝いたします。
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大衆社会はなぜ退廃するか、最終回。
http://hashira.exblog.jp/241816946/
2023-05-30T09:56:00+09:00
2023-12-21T06:06:54+09:00
2023-05-30T09:56:42+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
これまでは敢えて書かなかった事や、タブーと言われれている大衆社会批判も書きました。
特にデモクラシーのもとにある大衆社会がもたらす社会的歪みと矛盾の問題についても、
脳の原理から分析しました。
そしてその大衆社会が I TやA Iによって、とうとう液状化が起こりつつあると言う事も書きました。
I T社会で知能が劣化していく人々は更にA Iによって振り分けられていくでしょう。
特に、日本の教育は間違えて、 若者の頭を良くする事にブレーキばかりかけてきました。
また自由主義の国でありながら、政治的な実際においては、自民党の独裁国になってしまっているその原因は、大衆社会にあります。
政治が社会理念ではなく、大衆の現生的利益誘導の道具になっているからです。
その限りにおいては、大衆の意識が変わらない限り何回投票しても議会政治は不毛ないばかりです。
そして周辺国ではきな臭いことが漂っています。
しかし幾ら防衛費をかけても、
中国も北朝鮮も核を持っています。
アメリカはいよいよ自国主義になり、果たして日本を守ってくれるでしょうか。
もう、気づかないと…。
もっと賢い国にならないと。
その為には、大衆の知性の底上げが必要です。
まだまだ太平の眠りの中にいる人々もたくさんいます。しかし
目覚め始めた人も出てきました。
私も、砂粒よりも小さい私に何ができるか、
でも私もささやかなる大衆の一員として、
私にできることを頑張ります。
小難しい長文を読んでいただき、
ほんとうにありがとうございました。
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今から10年くらい年くらい前、
http://hashira.exblog.jp/241816943/
2023-05-30T09:54:00+09:00
2023-05-30T09:54:31+09:00
2023-05-30T09:54:31+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
私自身が独学でだいたい脳の全貌がわかるようになり、その時、
もしいよいよA Iが登場したら人間はえらい事になるとぞーとしました。
A Iテクノロジーの利便性が社会の中に浸透すればするほど人間の脳は劣化していくと思ったからです。
もう本当に危機を感じました。
人間が体を使って働き、脳を使って解決していく毎日から後退した時、人間は滅びに向かうと、ホントにホントに悩みました。
体を使って頭の中の知恵を使って.
田畑で働く事、工場で働く事、商店や会社やその他様々なところで働くことが、
実は日々脳が鍛えられ、その経験知で脳の前頭葉が成熟していくのです。
そしてそれはもしかしたら苦労の連続かもしれないが、しかし、人間として成熟する喜びもある。
しかしなぜか、この事を誰も言わない。
知識人達も誰も指摘しない。
なぜなら、それを理解できる人はほんの極小であり、それをいうと、大混乱が起きるからね。
文明とは何からというなら、文明は道具にすぎない。
その道具がとうとう行き過ぎて、逆に人間社会を支配し始める。
いや、支配じゃないよ、
人間自ら劣化を選んでいる。
もしA I恐慌がおきたら、
企業がどんどん倒産していく。失業者が溢れてくる。
A Iを甘くみるな。
どうしたらいいのか、と悩んでいる時、遠野で児玉房子さんのガラス絵に出会ったのです。
そこには、私の好きな詩人茨木のり子さんの詩「どこかに美しい村はないかか」そのままの人々が描かれていました。
私の考えでは、おそらくこの昭和から平成にかけての時代が、最も人間にとって幸せな時代ではなかったろうか、と思うのです。
だがしかし、早くしないとこの風景も消えたいく。
こんなふうに人々が働く姿が消えてゆく、今のうちに撮っておかねば、と、必死で思いました。
もう私もいなくなって、何十年かたった時、すっかり世の中が変わり切ってしまった時、
この時代がなんと美しく、尊かった事が分かるように。
自分達が失ったものが、どれほど人間にとって大切だったか。
撮るのは今しかない。
そして、ただ一つの希望は、この映像を残しておくことで、それをみた人の中から、自分達の人間性を、取り戻そうとする人々が現れてくるかもしれない。
そして能勢さんに相談して映画にしてもらいました。
ささやかに生きる人々へ贈る、美しい人間讃歌として。
今朝、新井紀子さんの記事を読んで再び胸が痛くなりました。
何故なら以前読んだ氏の本には、
明らかに脳が劣化した日本の若者のデータが記されていたからです。
またA Iによって淘汰されていく人々の事も具体的に書かれていたのを、思い出したからです。
ただA Iの限界も、逆にA Iによって淘汰されない事は何かも、
書いておられました。
それは人間らしく、そして生き物らしく柔軟になること。
そして意味を考える人間になることだとありました。
ずいぶんながくなりましたが、しかし私には今希望があります。
それはまた書きましょう。
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大衆社会はなぜ退廃するか、その7、私たちはまともな社会を作り直そう!
http://hashira.exblog.jp/241815238/
2023-05-28T07:41:00+09:00
2023-05-28T07:41:09+09:00
2023-05-28T07:41:09+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
驚いたことに、非凡な人間が凡庸な人間に潰されると書いている最中に、市川猿之助さんの事件がおきてしまいました。残念です。
◯
皆さんどうかご自分の知性に開眼して、高次の知世人になってください。
もう時間がない私はそれを懇願します。
こんなに短絡的で軽薄なデジタル社会、
高い知性の堅牢な足場を持たない社会は、
何かの拍子にあっという間に崩れてしまうでしょう。
それがロシアとウクライナ戦争の終結後かそれとも台湾有事の時か
または、金融経済の崩壊の時か、
もしかしたら、思いがけないところから何かが起きてくるか?
とにかくこんな浅薄な知性と知能の社会じゃもたない。
皆さんも心のどこかでは、
今の日本じゃ危うい、と思っておられるのではないですか?
いったい日本はどうしたらいいのか。
◯
人間は二足歩行になり、自由になった手で道具を作り出しました。
文明とは、道具の事です。
その道具はA I迄に進化したのです。
しかしあまりにも進化した道具は今、人間を超えるかもしれません、
たかが道具なのに。
オルテガは科学者達を、あまりいい言葉ではありませんが<専門バカ>と呼びました。
なぜなら、彼らは自分の研究と成果には夢中になるが、
その反面、人間社会全体を見渡して
人間の真の幸福は何かを考える思慮
に欠けている、と批判したのです。
私達は科学や科学者に対しても、
鵜呑みにしないで、
自分達の意志と目で見極めなければいけませんね。
確かに科学技術はすごい。
そしてこれから医学が更に進み人間百年時代だなどとマスコミも吹聴しています。
でもね私は、
冗談じゃないや、百年も生きたきゃないよ、と思いますよ!
そう思っている老人達もたくさんいると思いますよ。
皆さんも私くらいの歳になると、 そういう気持ちがよく分かると思います。
そして、
もしA I時代が来たらあっという間にA Iは社会の、そして生活の隅々まで浸透していくでしょう。
その時、考える力のない人間、
浮草のように浮遊する人々は、
残念ながら淘汰されていくでしょう。
では、そうならない為に私達はどうしたらいいか。
その鍵やヒントは、私達の過去にあります。
オルテガは過去を見直せと書いています。
つまり、
私達日本人がどういう歴史を築いてきたかに、答えがあると。
失敗や試行錯誤しながら
私達日本人がどういう文化と知性を磨いてきたか。
前回書きましたね、
命の原理は常に良き事を目指して、幻想すると。
そしてその幻想は時代を経ながら確実に、
・日本人の文化として、
或いは
・日本人の規範として、
・日本社会の秩序として、
・日本人独特の生き方、生き様として
結実してきたはずなのです。
それが歴史の中や伝統の中にあり、
伝承、伝説、ことわざの比喩としてもあるでしょ。
また、日本社会の市民の共同幻想の中にもあったはずなのです。
歴史を経ながら人間は学んだはずです。
そしてそれらは決して今のような
幼稚なガキ文化じゃありません。
社会を隅々まで見渡し、
良き事も悪しき事も、
そこに起きる矛盾や影も、
人間に起きうる全てを、包括しながら、
洗練させていった日本の文化です。
おおらかで、朗らかで、些細なことなど笑い飛ばして生き延びてきた、
ホンモノの高い知性に満ちた大衆文化だったはずです。
今の課題は、日本人が、そのアイデンティティを取り戻し、
しっかり物事の是非を見極める能力を持った大衆になることです
この近年の日本は、
イタズラに、そしてウカウカと、
西洋グローバルスタンダードなるものに入こみり、足をからめられ取られそうになり、
結局は彼らにすかされてしまいました。
さて、では、私達日本人の文化をどうすればいいか?
今消えそうになっている
私達の文化と知性を取り戻し、
もう一度、それらを、検証し、
さらには未来のために、洗い直し、修正し、
もっともっと洗練させて活かした社会へと、
日本を変貌させませんか。
日本という国の大黒柱を立てましょう。
これから来る移民の人々を受け入れる為にもまずは、
しっかりとした堅牢な日本文化を
復活させる必要があります。
いわば日本型ルネッサンスです。
田下憲雄氏流にいうなら
まともな日本に蘇ると、いうことですね。
つづく。
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大衆社会はなぜ退廃するか、7、心ある人はみんな今の社会がおかしいと思っているはず!
http://hashira.exblog.jp/241814408/
2023-05-27T05:49:00+09:00
2023-05-27T05:49:31+09:00
2023-05-27T05:49:31+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
それは、
非凡な人間が、凡庸な人々によって潰されるということです。
前回脳は幻想を作り出し、
人間は自分の思いこみの世界の中で生きていることを書きました。
凡庸な人間は、自分の脳世界が、自分の思いこみであることにめざめず、
その自分の物差しですべてを測ってしまい、
ついには、非凡な人間の世界を理解できず、潰してしまう、ということです。
オルテガの言う凡庸な人間は、
イコール大衆を指しています。
実はほんとうに残念なのですが、これが大衆社会の実情です。
オルテガはそれを大衆社会の原理、属性と見ていますが、
私はそうは思いません。
実はそれこそ脳のもつ限界だと考えています。
脳は放っておくと凡庸のままになるからです。
脳が自分の思いこみの脳世界から脱出していく為には、
よほどの学習と経験を積まなければ
難しいです。
特に前頭葉は成熟していくことが難しいです。
そう言う風な学習のプロセスを経て、人は非凡開眼していくのです。
反対に、これも非常に残念なのですが、デモクラティックな大衆社会では、
その平等の観念が逆に、
大衆を甘やかして、
自己成長の機会を逃していると、思います。
ほんとうは、自由と平等は理想的な理念であり素晴らしいことなのですが。
例えばネット社会などまさにそういう大衆の群れです。
ネット社会が登場すると同時に、人々はこぞってそこへと流れ込んで行きましたね。
ほんとうは、そこで立ち止まって、
これは是が非かを、個々に考え検証すぐ事が必要なのにです。
.コロナ下のオリンピックだって知性ある人はその欺瞞性を分かっていたのに大衆は…。
何も考えず、流されていく。
昨今は、いよいよそれが激しく、
マスになった人々がなだれこんでいきます。
自分で考えない人々、
他者との同化を望み、
異質や異端であることを恐れる人々。
また、異端や異質を排除し、潰す人々のその現象こそが、
非凡な人間を凡庸な人間が潰してしまう社会現象となっている。
非凡な人間は、社会の表面には出てきません。
そして今、ほんとうに残念ですが
オルテガのいう、根無し草としての大衆現象がまさに、
その通りに起きています。
ネットで簡単に知識を得、
深く物事を掘り下げることができない人間が、
自分達がまるで正義であるかのように人を裁き、
多数を背に、
イナゴの大群のように襲いかかる。
薄っぺらな擬似知識人が、メディアを占め世論を誘導しています。
ちょっと横道にそれますが、
ホリエモンと茂木健一郎氏がある本の中で、マーケティングや調査の事を対談しており、それを読んだ私がその本を憲雄氏に見せましたら、
憲雄氏が、
二人ともがマーケティングの事など良く知らないのに、
知ったかぶりで、デタラメを言っていると、怒っていました。
液状化するデジタル社会。
恣意的で、節足で、根無し草のように浮遊する人々。
こんな社会が、長続きするはずがないと私は考えます。
ほんとうは、ハッキリと表明してないけど、
この社会の在り方に、多くの人々が
疑問を持っているはずですよ。
心ある人々は、
なぜこうなるのか、と言う疑問の中にいるはずですよ。
自分以外の人間達が悪い。
政治が悪い。
世の中が悪い?
いえいえ、もう時がきているのですよ。
私達が知のレベルを上げなければならない時が。
今のデジタル社会は単なる通過社会だと私は考えています。
その理由は次回書きます。
これから来るA I社会では、更に知性、知能による格差が起きるでしょう。
また、世界は食糧難が来るでしょう。
その時A Iテクノロジーが必要でしょう。
しかしそのA I社会の対極に、
高次の知性の人間世界が必要です。
それはおそらく大衆社会では有りません。
高次の知世人が牽引する社会です。
どうぞ皆さん、高次の知世人になった下さい。
つづく。
※知世人は、私が作った造語です。
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大衆社会はなぜ退廃するか、その6、脳はなぜ幻想世界を作り出すのか?
http://hashira.exblog.jp/241813666/
2023-05-26T07:33:00+09:00
2023-05-26T07:33:34+09:00
2023-05-26T07:33:34+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
さて、お約束の、脳はなぜ幻想世界をつくるか、について書きます。
そして今回はとても大切なことを書きますが、ちょっと難しいので、
ご自分の直感やインスピレーションをビンビン働かせて、
ご自分の心理の内部をサーチしながらお読みいただけたら嬉しいです。
◯
私のブログやSNSを読んでくださる方々は、もうそろそろ、
脳が常に幻想を生み出しながら機能する機器である事をご理解いただけたかと思います。
人間は言葉を発明しましたが、
言葉の役割で最も重要なことは、
会話です。
人間は、他者と会話することによって、初めて
社会的な存在になるのです。
言葉は単なるコミュニケーションツールではないのです。
会話をしない限り、そこには社会が発生しません。
会話は人間が社会的存在へと発達する為の大事な大事なツールなのです。
だから引きこもったり、自分を内向させたりすることは、脳が未熟のままになるという大きな損失になります。
しかし押さえておかなくてはならないことは、
言葉も極めて曖昧性を持っており、
自分の言葉が、正確に相手に伝わるかどうかは、わからない、という事です。
また相手も自分流に、言葉を解釈していきます。
その言葉の群れによって、
社会がある、という事です。
そして、もうひとつ大事なことは、
他者と関わり対話することによって
自分が創られていくのです。
人間は他者との関係性の中で、自分を作りだしていくのですが
それも自分流に社会を理解して、
自分を創り出していきます。
こうして、言葉世界から社会を見るとき、
社会というものが、
極めて、あいまいで、不確かで、
まるでサーカスの曲芸の如き危うさを持ち、
かろうじて成り立っている、と言う事が分かります。
そして脳はセキュリティシステムでもあるとお話ししましたね。
この危うい社会の中で生き、
危険や危機を回避する為に、
人間の脳は、
シュミレーション能力(仮想能力)を高めました。
人間は、
他者と関わり、会話をしながら
他者の世界や外界と自分と照らし合わせ、
脳は瞬時に仮想と現実とを行き来し、
それらを統合して答えを出していきます。
仮想と現実の辻褄を合わせ
予想される事をストーリー化して
意識の上に記述して行きます。
ただその幻想(予想)の物語も、その人の個人の脳内データを元にしているものであり、
あくまでも個人的なものであり、普遍的ではありません。
ところがシリーズ4で説明したように、
自分と他人の違いを明確に自覚できていない、自他の分離できていない人は、
自分に起きたことが、
あたかも他人にも同じであるような錯覚をします。
みんながあたかも自分と同じであるかのような思い込みをするのです。
残念ながら、よほど洞察力や考察力が高くない限り、
こういう人の方が圧倒的に多いのです。
オルテガのいう大衆とはまさにこういう人々です。
では、なぜ脳が仮想するかというと、
危険を予防にする事は勿論ですが
もうひとつ大事な事があるのです。
それは、そういう自己保全のセキュリティの根っこに、
自分の理想つまり良きことを求める、
生命の原理があるのです。
良きことを求めて生きる人間の原質があるのですよ。
この危険いっぱいの社会で、なるべく危険や危機にあわず
良き存在でありたい、良き人生をつむぎたいと希求する命の働きがあるのです。
良き人間関係、良き出来事を見つけ、何とか良く生きる為に、解決の道を探す時、
その自分の理想のビジョンに照らし合わせて、
瞬間的にシュミレーションするのです。
人間は、決して滅びたいとは思っていないのです。
人間の脳が幻想を創り出すのは、
生きようとする強烈な営みなのです。
ただ問題なのは、そのシュミレーションと現実が、先ほども書いたように、
個々人の脳の思い込みで成立しており、
普遍性をもってはおらず、あくまでも個人データにすぎず、
社会とは、そういう個人データの
集合体であると、いうことです。
人間の願望や欲望や希求が錯綜しながら、
そこに何らかの共同性があるような錯覚を作り出しして、
人間は生きています。
それが故吉本隆明さんが指摘した
人間社会が不可避的に作り出してしまう
「共同幻想」です。
ほんとうは、あるかないかわからない共同幻想の中に生きる人間は、
時に行き過ぎたシュミレーションしては、
不安と疑心暗鬼に落ち入り、
ネガティブな事を探す神経症的病気、被害妄想に陥ってしまいます。
こうあって欲しいと言う期待が、
だんだんそうに違いない、と言う
思いこみになってしまう事です。
神経症的なシュミレーションは、
倒錯した快感です。
その事は、シリーズ3そもそも脳とはどういうものか、で書きましたよね。
その時悲劇が好きな人は、事態を悲劇的に脚色し、
愚痴や否定が好きな人は、何ごともそこに結びつけ、引力していきます。
反対に、高い知性を身につけると、
そこにできる大いなる客観性によって、
自分の思いこみが訂正されていきますから、
だんだん幻想から覚めていきます。
幻想ではなく、現実の断層が見えてきます。
つまり人間の実相が見えてくるのです。
その実相を見極めた上で、
地に足をつけ、
蜃気楼(幻想)ではない実物の本物の世界を、
創り出していく。
そのためには、社会現象に流されず、
立ち止まって、振り返って、
ほんとうに良きことは何かを、
検証する。
私は皆さんにそういう高次の知世人であって欲しいですし、
このブログやSNSを理解されるのですから、それは間違いない、と思っております。
どうしたら、良き事をみつけ、良き人生となるか。
そのヒントになるのが過去の歴史や伝統です。
次回は、その事について書きます。
長文、お疲れ様でした。
つづく。
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大衆社会はなぜ退廃するか、その6、いずれネット社会は解体し、非凡なるアナログ社会へと吸収される⁈
http://hashira.exblog.jp/241812737/
2023-05-25T05:50:00+09:00
2023-05-25T05:53:16+09:00
2023-05-25T05:50:22+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
これに巻き込まれてしまうと、断片ばかり追う脳になってしまいます。
小廻りはきくが、目先の事しか分からない、浅薄な脳になってしまいます。
そうではなく、常に物事を立体的に見渡せる脳へと、自分を育てていく事ですよ。
意識的に、全体を見廻す能力を身につけることです。
結果や表面現象だけ見るのではなく、
長期に渡って物事の推移を見渡せる脳です。
様々に起る現象を、なぜそれが起きたかの論理の中に置いて、
原因や動機や起きた環境の諸条件などを見渡し分析する能力です。
文章でいうなら、短文ではなく、長文を読解できる力を身につける。
科学なら総合的に科学全般を理解し、
学問全般に渡る教養を身につける。
そういう能力を身につける事です。
デジタルだけではなく、
アナログなスケールの中で、デジタルを分析する。
言っておきますが、
あゝ、とうとう預言者みたいになっちゃった…笑!
以下は私の独断ですが。
今のデジタル社会はいずれ解体し、これから来るであろう、
アナログ社会へと吸収されていくだろう、と私は考えています。
こんなデジタル社会が長続きするわけがありませんから。
次にやってくるのは、アストロサイトの、超アナログ社会だと思います。
その時、デジタル産業も
デジタル脳の人間も、淘汰されて、
非凡なアナログ的能力を持つ者だけが生き残っていくと思います。
つまり凡庸なデジタル脳は、
非凡なアナログ脳に、
駆逐吸収されてしまうだろう、と
思いますよ。
心ある人は、準備を怠らない事です。
準備とは、
意識的に上記の様に、デジタルにもアナログにも対応できるスケールの自分を育てていく、と言う事です。
そしてもしかしたら、300年つづいた大衆社会の世紀が終わり、
突出した非凡なる才能者の時代が始まるかもしれません。
その時、もし非凡なるデマゴーグが現れないように祈るばかりです。
反対に、
聖心なる非凡のリーダーが現れたら今度こそ、
人間は平和で穏やかな社会へと進化できるかも知れませんね。
それを祈ります
]]>
大衆社会はなぜ退廃するか、その5ネットで人間社会が壊れてゆく!
http://hashira.exblog.jp/241811877/
2023-05-24T05:22:00+09:00
2023-05-24T06:13:47+09:00
2023-05-24T05:22:37+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
親に密着され、大人に管理、介入された日本の子供達の反乱は、
・校内暴力・家庭内暴力・いじめ.・シカト・登校拒否・引きこもり・ニート・パラサイト・家庭崩壊、
そして悲惨な・親の子殺し、昔はあり得なかった子供の自殺へと、エスカレートして行きました。
それらは皆、子供達の出すSOSのサインでもありました。
しかし親達も、大人も社会も一向に真っ正面からは向きあわず、表面的手当ばかりして、
根底にある、学歴偏重社会の受験体制や、親子の密着から起きる共依存などの社会問題などには、
真剣に解決する視線をむけませんでした。
そんな子供達の世界がどうなっていったか?
しかしここに来て、それらの子供達の救世主?が現れました。
それがI T社会です。
もうお分かりの方は、ピンときたでしよ。
他人と交わらず、引きこもって一人でも、ネットから知識や情報を得ることができ、
そして友達がいなくても、
ネットでつながり、それも、
極めて恣意的に繋がれる友達です。
全てが架空で仮想で安易で、面倒くさくないネットの世界に逃げ込み
現実逃避して、
バーチャルな世界に浮遊しながら生きていける。
いわば彼らの救世主?です。
この国の底辺では、
ほんとうは極めて深刻な状況が、
静かに、無言で進行しているのですが。
人間は知識を広める事と、社会での実践体験を深めることで、
その人間が成長し、成熟していきます。
ところがネットで知識を得ることはできても、
社会体験が乏しい人間がどうなるか?
私が実際に知っているAさん(38歳)は、親との共依存のゲームとアニメに暮れるなか10年近く引きこもり、今やっと働き始めましが、
その社会知や世間知は、まるで小中学生のレベルです。
社会の中でも揉まれることもなく、
他者と関わりながらもがくこともなく、実践経験が乏しいため、
頭でっかちで理屈はこくが、
ものすごく幼稚で薄っぺらです。
そして本人にはその自覚がありません。
ほんとうに残念ですがAさんは、
脳が経験知、体験知を蓄積し熟成させる大切な時間を、引きこもりで
ムザムザと浪費してしまいました。
取り戻すのは至難の業でしょう。
脳は甘くないです。
ほんとうは、大変深刻な問題が解決されないまま社会の底で進行していおり、
それは一部の子供達の特殊な問題ではなく、
大衆社会全体がその連環の中で引き起こしている現象です。
またネットという文明の道具によって作りだされた社会がこんどは、
そのネットによって人間の脳の閉鎖性が進みます。
今まで築いて来た社会のパラダイムが液状化し、
人間社会が解体されつつあることも
見ないフリをせず、逃げないで、
向き合うことです。
そしてそのネット社会も、
いずれネット社会が不可避的に生みだす闇や膿で汚染されていくと思います。
もうかなり汚染されていますが。
さあ、私たちは、どんな社会を作り出して行けばいいのか、
私たちは、どんな人間の文化を創らなければならないか。
ほんとうに真剣に考えねばと思います。
いたづらにネット社会に流されず、
カッと目を見開いて時代を直視し、
真剣に真摯に、冷静に沈着に、
解決の糸口を探していきましょう。
]]>
大衆社会はなぜ退廃するか、その4、なぜ大衆(多くの人々)は、集団の中で一体感に満足し、他人と自分が同一であるといい気持ちになるのか?
http://hashira.exblog.jp/241811006/
2023-05-23T05:09:00+09:00
2023-05-23T05:09:15+09:00
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denshinbashira
終わりを意識して書く
もともとは、四足歩行であった人間が、二足歩行になった事で子宮が圧迫され、
他の動物にくらべ、ただ寝るだけしかできない未熟のままの子供を産む事に遠因があると考えています。
つまり人間の子供は、他の動物に比べ親との生育期間が長く、密着期間が延々と続いてしまいます。
乳児から青年になるまでの20年間を、ベッタリと親の管理下で過ごします。
その間ずっと、親の感性、感覚、考え方や価値観、思想などが、
シャワーのように、子供に注がれ刷り込まれていきます。
また子供の側から言うと、親に密着依存していないと、
自分が生きられませんから、
子供は無防備に親に同化していきます。
他の動物はサッサと親から離れて独立、自立していきますが、
人間だけが親との分離がなかなか難しいのです。
つまり、◎感覚的に、
自分と他人との境目がはっきり掴めないのです。
また、心理的にずっと親に依存して生きて来た子供にとって、
親と分離して未知なる社会で生きることは不安で仕方ありません。
昔は子供も一つの労働力でありまた、稼ぎ手の一人として早く自立しましたが
現代の豊かな社会では、
むしろ親の方が子供を囲い込んで密着していますから、
当然子供は分離不安を抱えながら生きています。
それが他者との間でも投影されて、
しまいます。
ほんとはね、サッサと親から離れ、
親を乗り越え、
社会でチャレンジし、経験を積むことで、分離不安は解決していきますが、
現代人は、常に無意識の深層心理に、
親や他者との分離不安を抱えながら生きているとも言えるのです。
つまり不安と孤独を抱えて人間は生きているのですね。
だから集団の中での一体感が心地よく、
他人との同一性に安心するのですが。
ところが、脳の観点からみると、
世の中に一つとして、
一体の人も、同一の人も、
いません。
勿論、親との一体も同一もありません。
みんな、それぞれが、それぞれベツモノの自分の脳の中を生きています。
と言う事は、
一体も、同一も、全て幻想で、蜃気楼である、という事です。
※人間の脳の一つの問題性は、脳が作り出す幻想世界です。
これについては、後日書きたいと思います。
そういう冷厳な事実を受け止められない人々が、
大衆として群れ、一体感を求め、
同一だと錯覚して、心理を安定させようとするのです。
そして、
もともと分離不安の人々ですから、
一体感を求め、益々満たされようと、どんどん密着が強化していきます。
それがいつの間にか、自分達とは密着しない異質な人間を排除し、
その熱狂がファシズムへとなってゆくのですが、
困ったものです。
逆に知性や知能が高くなればなるほど、
人間が断絶している事が分かりますから、
自分の孤独を引き受けていきます。
そして自分と他者が決して同一ではない、という実感があればあるほど、
謙虚になっていくのですね。
孤独を引き受け、
他者との距離や礼儀をわきまえて、
遠慮深くなるのです。
日本人は、歴史的にそういう文化を
作ってきたはずなのですが、現代はいつの間にか崩れつつあります。
オルテガが指摘した大衆というのは、まさにそういう深く考える知性に欠けた人々です。
そしていつの間にか、そいう人々が多数派になった時、社会がどうなるかは、
もうお分かりの事と思います。
そして現代日本の深刻な問題としてあるのが、
母子密着や父子密着や、親との共依存、ニートやパラサイトや引きこもりの
自立できない子供達です。
これらを含めて、私たちは、いかなる社会を作るのか⁈
大きな大きな課題が、目の前に立ちはだかっている、という事です。
つづく。
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大衆社会はなぜ退廃するか、その3.そもそも脳とはどういうものか。
http://hashira.exblog.jp/241810175/
2023-05-22T05:12:00+09:00
2023-05-22T05:12:07+09:00
2023-05-22T05:12:07+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
脳は自らが正義や道徳倫理や正論の答えなどを有している訳ではありません。
脳は外界に反応しながら、適応をさがし
答えを出していく生物機能です。
私は脳は、その生命体を維持し、保全するセキュリティシステムであると考えます。
人間のセキュリティシステムとして、
文明や文化を作りだしたのだと考えています。
冒頭で書いたように、脳の中にはじめから正義や倫理観や正論があるわけではなく、
脳は外界に反応して、
良き心地を得た事には、それを強化しようとします。
極論をいうと悪いことをしても、そのとき心地良く、快感が走ると、
脳はそれがその生命体には必要であると判断してしまいます。
そして同じような事が続くと脳は、
それがその人間の生命維持に必要な事と勘違いし、それを強化していきます。
つまり悪いことで得た快感は、何度も同じような快感を得ると、その悪い事がその人の中で常態化してしまいます。
例えば嘘をつく事に快感を得た人間が嘘つきの常習になるようにです。
怖いね〜!
その反対の事も言えます。
良い事をして快感を得た人は、そこに満足感や充足を得て、そう言う風に生きようとします。
ただ、それも行き過ぎると逆に、
いい人から降りれなくなり、本人が息苦しくなるという事も、起きてきます。
悲しみもね、自己憐憫が快感になると常習化して、
癖になりますよ。
つまり脳は、常に外界に反応しながら、
その人の反応体系=人格を作り出し、
その人の生き方を作り出していると、言う事です。
言い換えれば、その人間の人生の文化と秩序を作りだしている、という事です。
原始的な脳から、長い長い年月をかけて、そういう風に脳が人間の文化や規範を作り出しては、
遺伝子によってそれを子孫に伝えて、
人間が生き延びて来たと言う事です。
そういう風に人間が獲得して来た遺伝子の中に、
高邁な思想や行動に感動するという部位もあるという事です。
このブログでも、何度も書きましたが脳は古い動物の名残りである、本能的欲望と感情の大脳旧皮質と、
それを包み込むようにして発達した、
いわゆる人間の脳と言われる理性を司る大脳新皮質の前頭葉があります。
この二つの脳が、外界に反応しては、その人の心理である心模様を作り出していきます。
問題は旧皮質の、本能的欲望や感情の方が、
新皮質の理性より圧倒的に強い事です。
中でも厄介なのが、他者を否定し、自己を顕示する支配欲や、
所有欲や征服欲、独占欲などで、
人間関係の揉め事の根底には、この感情が潜んでいます。
またこの欲望や感情に取り憑かれた人間が政治の世界に入り込むと独裁者になります。
いわばプーチン氏など、その典型として、もう、見事なモンです。
そういう自分自身を自制してゆくには、シリーズ1で書いたように
自分の意識をしっかり磨き、
その一方で、ネガティブな欲望の手綱をしっかり握っていないと、
人間はやすやすとネガティブな欲望と感情に、乗っ取られてしまいます。
人間はネガティブな欲望や感情の方が強い電流が流れ
時としてそれに快感を感じてしまうのです。
なぜなら、もともと人間は動物であり、
その脳には、自分以外の人間(動物)に対する否定的感情や、
支配感情などの攻撃性が内蔵されているからです。
オルテガは、自由と平等のデモクラシーを獲得しても尚争いが耐えず、
強いもの隷従したり、反対に集団でファシズムに走る事を、
大衆の属性として分析しましたが、
私は、それは脳の動物的な原理と属性だと思います。
つまり、私達は自分の脳の属性を克服しない限り、
デモクラシーは、絵に描いた餅の理念でしかなくなるのです。
そんな中でも日本人は、他国への侵略をしようとする事がない事はないですが、それでも極少の国です。
本当は他国の人達から見れば、羨ましいくらい穏やかな国民です。
しかし、残念ながら日本と日本人は、この間の経済優先の文化の中で、
ウカウカと、
日本人より動物的肉食性が強いグロローバル文化の中に入ってしまいました…トホホ!
そしてIT文化の中では、
どんどん日本社会が液状化しています。
果たして私達は、どうしたらいいのでしょうか。
次回はオルテガが書いている、
大衆の属性として、
「自分がみんなと同じだと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、
他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、」
と言う事が、
なぜ起きるのかを
書きます。
つづく。
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なぜ大衆社会は退廃するか、その2.若者達の心の空洞化の原因は…?
http://hashira.exblog.jp/241809396/
2023-05-21T06:11:00+09:00
2023-05-21T06:11:38+09:00
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denshinbashira
終わりを意識して書く
しかしその意識下の動機には、
戦前の階級社会から戦後の大衆社会へと開かれたことが、
それはそれとして素晴らしい事なのですが、
その反面、自分の子供達に期待する、かなり歪んだ、出世欲や上昇欲が親達の幻想を掻き立て始めた事も事実です。
本来は大学は、専門学問の
研究機関です。
いわゆる学びの学校とは違うのですが、
にも関わらず、そういう事を理解しないまま、
大学進学がひとつのステータスのように社会に君臨してしまいました。
自分は何を研究しに大学へいくのか、或いはいく必要があるのかの、
という明確な目的意識をもたないまま、大学へ行く…⁇
皮肉な事ですが、大学受験を目的化した教育は
子供の能力にブレーキばかり掛けてしまう親現象の国になってしまいました。
子供時代の大人に干渉されない無目的な遊びの世界は、
脳がデータを集めるほんとうに大事な時間です。
子供こそ才能の宝庫です。
子供の脳こそ、
既成観念にとらわれず、才能がジャンプします。
逆に親や大人が子供に干渉し介入すればするほど、
子供は自分の知能を発達させるを時間を奪われてしまい、
当然脳は偏って発達してしまいます。
知識が閉鎖的になってしまいます。
なぜ今、日本の人材が育たず、逆に若者が短絡的になっているかは、
知識過多で観念的人間になっている一方で、
脳内の実践データが貧困になっていることです。
実践データは、
脳だけではなく、体で体験しながら、現実を実際に感じとってゆくデータです。
そういう実践データを掴んでないまま成長し、
複雑で困難な事が錯綜する世の中で、
諸々の事を解決していくのは、大変な事です。
戦後教育を総括すると、
多層な大衆社会において、日本人の教育水準を上げるはずだったにも関わらず、
知能が平均化してしまったかもしれません。
もしかしたら若者は被害者かもしれません。
次回はそれでは、
脳とは本来どういうものであるかを、書きます。
つづく。
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大衆社会はなぜ退廃するか その1.なぜ人々は根無し草になるのか?
http://hashira.exblog.jp/241808562/
2023-05-20T05:35:00+09:00
2023-05-20T05:35:31+09:00
2023-05-20T05:35:31+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
まず、意識と心理から入ります。
心理とは、人間の行為行動を動機づける脳現象です。
心理には、無意識の心理と意識の心理があり、
人間は殆どを無意識のうちに選択しながら行動しています。
意識は、必要に応じて心理の表面に現れてくる、
その人間の自我の行為行動の説明書であると同時に、
意識的行動を示唆する解決書でもあります。
つまり自分がなぜそのような行動、行為をするかを脳が自分に説明し、
次に進むために、
解決の答えを出していく。
それが意識です。
では本題のオルテガが指摘している大衆の姿として
人間が心の拠り所を無くしたり、
どう生きていいかわからなくなる一つの原因は何かというと、
文明によって、
さまざまなことが用意され、準備されているからです。
人間は体験しながら、経験しながら、考え答えを探して、
意識が賢くなるのですが、
文明が行き過ぎ、さまざまな事を
人間が解決するのではなく、
機械や機器が代行し、
利便性が高まりますが、その一方で、
意識を持って考える事が人間から奪われてしまうのです。
人間の脳の中が空洞化して、
自分では答えが出せない人間になってしまいます。
脳の体験知や経験知のデータの積み重ねもなく、
知識も考察するトレーニングも貧しい人間が、
世の中で彷徨い浮遊するのは当たり前ですね。
現代社会で、これ以上文明が進めば進むほど、
そういう人々が増えていくという事です。
人間は、
意識が知性で磨かれていないと、
ほぼ無意識の欲望や
恣意的衝動で行為し、行動してしまいます。
そういう人々の群れができた時、
小頭がきく小狡い人間が、彼らをマインドコントロールしていくのは、
いとも簡単です。
そういう風に盲目的になっている人々の、
不安心理や感情に甘い言葉を囁き、勘違いさせ、
自分に依存させ利用していくのも、いとも簡単です。
それがファシズムや独裁の始まりです。
現に今、そういうカルト宗教にたくさんの人々が引っ掛かり、
それを政治が利用するという、
本来あってはならないとんでもない事が、この日本ではまかり通っています。
つまり日本ではもうその素地ができつつある、という事です。
ではなぜ日本の大衆は、マインドコントロール可能になってしまったか。
その根本的な原因は様々にあると思います。
どうぞ皆さんも、
それぞれ考えてみてください。
色々と、思い浮かぶ事があると思いますよ。
私が考えるそのひとつは、
戦後のテレビ文化などで、
情報が画一化され、また人々が
自分で考えなくても、それなりに生きてゆける豊かな社会になった事。
脳は危険や危機を感じると、活性化して働きますからね。
余り危機感がない中、
大人達の知性がどんどん稚拙化していったことや、
戦後教育で日本の世の中が、
人材を育て損なった事などがあると思います。
つづく。
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大衆社会はなぜ退廃するか。前書き
http://hashira.exblog.jp/241808561/
2023-05-20T05:33:00+09:00
2023-05-20T05:33:42+09:00
2023-05-20T05:33:42+09:00
denshinbashira
終わりを意識して書く
偉大なる理念としてのデモクラシー、そして主権在民の日本の
大衆が主役となった社会はなぜ、
社会が退廃するのか。
液状化する現代のI T社会、AI社会を
オルテガの分析を基に、脳の機能の観点から考えてみます。
ホセ・オルテガ・イ・ガゼットが「大衆の反逆」を発刊したのが1930年、今から100年弱前の時代です。
労働者階級が主権を持つ共産主義国やナチスなどのファシズムが台頭して来た時代です。
つまり大衆社会をバックに、単一の主義や価値しか認めず、言論統制する歪んだ社会が台頭して来たのです。
そしてせっかくデモクラティックな社会になったのに、反動が起き、ファシスト達の独裁にやられてしまいまいます。
この時オルテガが考えたのは、
すべてにおいての前提である、
大衆社会こそに問題の根があるのではないかと言うことです。
大衆の存在そのものに、原因があると彼は考えたのです。
そして、では大衆とは何かと分析しました。
断って起きますが、
オルテガが指摘している大衆とは、
無名の人々、足を地につけて黙々と働き生きる人々ではありませんよ。
むしろオルテガは、そういう人々を尊敬していましたし、私もそうです。
オルテガが指摘する大衆とは、
みずからを、特別な理由によって、よいとも悪いともせず、
自分がみんなと同じだと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、
他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、
そのような人々全部である。
つまり平等という意識によって平均化、画一化され、
独自の考察力や客観性に欠け、他者や集団に同化するを良しとし、
世の動静に流されて、
自分の規範や生きる拠り所をなくし、
根無しの浮き草のように生きる人々です。
こういう人々は、個性のある人間を押しつぶし、こういう人間が権力をもった時、
その凡庸な精神が非凡で秀でた個性を積極的に抑圧していくと、
オルテガは書いています。
なんだか今の日本の現状と似ていませんか。
このオルテガの指摘の中
特に、自分と他人とが同一であるような錯覚は、かなり深刻だと思います。
本当は、人間一人一人がまったく別ものであり、
極論をいえば、断然を介してしかわかり得ないのに、
他者を自分と同じようだと錯覚してしまうこの脳の錯覚が、
もしかしたら人間関係におけるトラブルの大半の原因になっているかもしれません。
ただ私はオルテガ指摘している事は、オルテガが書いているような、
大衆の持つ属性ではなく、
もっと根本的な事として、
脳の原理と属性がもたらすものだと、私は考えます。
そして、これからは、
脳の原理と属性を解析していく事が、
さまざま起きる社会の事象の解決や
統治のシステムをどうするかや、
最終的には、平和をもたらす関係性とはどのようなものか、に繋がっていくと、思います。
少しずつ、わかりやすく書いていきます。
つづく。
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シリーズ9、オルテガ「大衆の反逆」を読み終える。
http://hashira.exblog.jp/241805860/
2023-05-16T20:58:00+09:00
2023-05-16T20:58:27+09:00
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denshinbashira
終わりを意識して書く
私自身の人生の時間がもう余りない事を自覚した上で、
今及びこれから私達はどう生きたらいいか、
反対に何が問題なのかを忌憚なく書いておこうと書き始めたシリーズです。
主には
1、これから来るであろうAI社会について。
2、人間の自我の問題=脳の二重性の問題。
3、現代のI T大衆社会の液状化現象の問題
を書いてきました。
更に考察を進める為に、嘗てより読まなくてはいけないなぁ〜と考えていた
オルテガの大衆社会論「大衆の反逆」を読み終えました。
大変難解な本でしたが、読み終えて、まず、
私が観察し、懸念していた大衆社会の問題性と、ほぼ一致することに、深い感慨が有ります。
この感慨は決して喜ぶべきものではなく、
その洞察の深さと慧眼によって顕された
人間社会へのある種の絶望感に裏打ちされた警鐘の深さに対する、
嘆息的感慨です。
あゝ、やっぱりそうか、と言う感慨です。
この光景を漱石もドストエフスキーも見ていたのか、と言う感慨です。
ただ、ただね、彼らもオルテガも、
それを、人間の存在の属性の矛盾と考えていますが、
今回私は読んでみて分かったのは、
それはむしろ
脳の原理であり、脳の属性が、
社会へと現れ出ているのだと思います。
この事を少なくとも高い知性を以て理解できる人々が
現れる時、
出口が見えてきます。
そうなるといいですね~。
そうなるように、
できたら、なんとかわかりやすく、書いてお伝えしたいと思いますが
書けるかなぁ〜。
どこから書き始めるか。
今私の脳が、
その糸口を探しています。
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