2010年 02月 28日
良寛と暗愚 |
頭のなかをしきりに「暗愚」という言葉が廻る。
「暗愚小伝」は高村光太郎の詩集で、
彼が太平洋戦争を礼賛した多くの詩により、
大勢の若者を戦争に送る片棒をかついだ自分を
断罪した詩集ですが、
良寛のことを思うとやはり
「暗愚」という言葉が私の中に
おきてきます。
昨日も書きましたが、良寛ほど
自分の弱さや愚かさを熟知して、
日常を生きた人はない。
自分の弱さを引きずりながら
諸国を放浪し
ふるさとに帰って来てなお
深い国上山の庵にこもり
それは常に自分の「暗愚」への問いかけだったと
思います。
人間はどうあがいても
この「暗愚」からは逃れられない
そうい気づいたとき
「暗愚」すーっと彼の懐に納まってきた。と
わたしは思います。
同様に私自身
あがいても、あがいても
自分の暗愚がフラッシュ・バックしてくる
そういう自分ももう
「暗愚」を懐に入れるしかないと
思います。
良寛の漢詩は常に内省を孕みながらも
自分自身の感性を聞いています。
感性を聞きながら、一方では
自分を取り巻く世界の中央に自分を据えて
その景色を看ています。
それは深々と雪の降る音の中の自分や
鎮まりかえった秋の月光の薄暗がりの中だったり
乞食の途中の驟雨のほこらのなかで
自分と世界のとの関係や距離を
聞きながら看ています。
「暗愚」であるが
「暗愚」に止まらない。
常に生々流転のなかを
暗愚しながらまえ前へと歩いている。
その
「前」とは
いわゆる、前向きとかポジティヴとかではありません。
前へ歩くしかない、
そうするしかないという
自分の「暗愚」を抱え込んでのことで
だから
すごいなあーと私は
思うんです。
この「暗愚」を抱え込みながら前へ進むということが
良寛と他者との関係の距離を造ります。
その距離がの幅が
いいなあーとあこがれます。
他者と自分
それを肯定するでもなく
否定するでもなく
また深く交わるでもなく
突き放すでもなく。
昨日”龍馬伝」の再放送を見たとき
吉田東洋の写経している字の悪筆というか俗筆に
ぞっとしました。
制作する側の稚拙さが
そのまま出ているような気がしましたが、
まあ、娯楽テレビですので、
写経の字までとやかく言うのは
ヤボとして
思い出したのは
良寛の写経の字の素晴らしさです。
自我が抜けて、一心に経に向かっている。
一切の媚びも顕示もなく
吉本隆明さんによれば、渋滞がない
私流にいえば、
循環する連続のなかにある。
そういう心の在りようが
わたしの手本です。
いつか
そういうところまで
いきたいなーと
思いながら
生きてます。
「暗愚小伝」は高村光太郎の詩集で、
彼が太平洋戦争を礼賛した多くの詩により、
大勢の若者を戦争に送る片棒をかついだ自分を
断罪した詩集ですが、
良寛のことを思うとやはり
「暗愚」という言葉が私の中に
おきてきます。
昨日も書きましたが、良寛ほど
自分の弱さや愚かさを熟知して、
日常を生きた人はない。
自分の弱さを引きずりながら
諸国を放浪し
ふるさとに帰って来てなお
深い国上山の庵にこもり
それは常に自分の「暗愚」への問いかけだったと
思います。
人間はどうあがいても
この「暗愚」からは逃れられない
そうい気づいたとき
「暗愚」すーっと彼の懐に納まってきた。と
わたしは思います。
同様に私自身
あがいても、あがいても
自分の暗愚がフラッシュ・バックしてくる
そういう自分ももう
「暗愚」を懐に入れるしかないと
思います。
良寛の漢詩は常に内省を孕みながらも
自分自身の感性を聞いています。
感性を聞きながら、一方では
自分を取り巻く世界の中央に自分を据えて
その景色を看ています。
それは深々と雪の降る音の中の自分や
鎮まりかえった秋の月光の薄暗がりの中だったり
乞食の途中の驟雨のほこらのなかで
自分と世界のとの関係や距離を
聞きながら看ています。
「暗愚」であるが
「暗愚」に止まらない。
常に生々流転のなかを
暗愚しながらまえ前へと歩いている。
その
「前」とは
いわゆる、前向きとかポジティヴとかではありません。
前へ歩くしかない、
そうするしかないという
自分の「暗愚」を抱え込んでのことで
だから
すごいなあーと私は
思うんです。
この「暗愚」を抱え込みながら前へ進むということが
良寛と他者との関係の距離を造ります。
その距離がの幅が
いいなあーとあこがれます。
他者と自分
それを肯定するでもなく
否定するでもなく
また深く交わるでもなく
突き放すでもなく。
昨日”龍馬伝」の再放送を見たとき
吉田東洋の写経している字の悪筆というか俗筆に
ぞっとしました。
制作する側の稚拙さが
そのまま出ているような気がしましたが、
まあ、娯楽テレビですので、
写経の字までとやかく言うのは
ヤボとして
思い出したのは
良寛の写経の字の素晴らしさです。
自我が抜けて、一心に経に向かっている。
一切の媚びも顕示もなく
吉本隆明さんによれば、渋滞がない
私流にいえば、
循環する連続のなかにある。
そういう心の在りようが
わたしの手本です。
いつか
そういうところまで
いきたいなーと
思いながら
生きてます。
by denshinbashira
| 2010-02-28 20:07
| 良寛の世界
|
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