かすかに我は・・・。 |
岩間を伝う
苔水の
かすかに我は
澄み渡るかも 』
良寛
最後の澄みわたると
住みわたるとをかけた句ですが、
心のなかに
かすかに起きるこころの浄化を聞いている良寛に
感動します。
自分の心を代弁されたようで
こころが
充たされます。
ひっそりと
自分だけしか知らない、けど
ささやかに喜んでいたいと
思うんです。
明日はひな祭り、桃の節句です。
この時期になると必ずご紹介したくなる漢詩があり
それは明日また書きます。
禅僧として、厳しい修行を積んで悟りをひらき
俗世から覚醒した世界へと
一つの地位を築くのではなく、
修行を積んでも、積んでも
悟りが開けず、
俗世に降りていっては
子供らと遊んだり
お金を出し合って
農夫らと酒を飲んだり
また
土地の有力者達に
物を無心したりと
迷いの真っ只中で良寛は
とても人間的です。
自分の弱さを抱え込んだまま
俗世と覚醒の境目を
出たり入ったりさまよう良寛に
共感します。
アア自分も
中途半端な自分を抱えて
フラフラと生きていいんだなあーと
思うのです。
自信を失ったり
悩んだりして
エレベーターをあがったり
下りたりと感情が浮つきますが
だからこそ
岩の間を流れる苔水に
はっと
心を現れる瞬間がある。
何気ない高揚の一瞬。
ささやかに生命が発火して
自分の生きてることが
充たされるのかと
思います。
散歩の途中でまだ
桃の花を見ていませんが
どこかではもう
咲いているのかなー?
冬ごもり 春さり来れば
飯乞うと 草の庵を
立ち出でて 里に行けば
たまほこの 道のちまたに
子どもらが 今を春べと
手毬つく ひふみよいむな
汝がつけば 吾はうたひ
吾がつけば 汝はうたひ
つきて唄ひて 霞み立つ
永き春日を 暮らしつるかも
良寛