2010年 03月 30日
被害者であることを止揚する。 |
2,3年前にもなるかなー、北朝鮮拉致被害者の家族の方々が
国会議員宿舎前で
抗議の断食をされているというニュースを見て
独りでのこのことカンパをしに議員宿舎前まで
出かけました。
現場に行ってみると、
報道の車が待機する中
道路に大勢の人達がゼッケンと鉢マキをして、
座り込みをしておりごった返していました。
その人たちはとても
普通の人たちには思えない、
まるで労働争議のような、
プロの集団というか、
団体、組織されたひとたちでした。
アレーッと違和感を感じたのですが、
当時とても拉致被害者の家族の方々に同情をしていた私は
とりあえず
その人の群れをかいくぐって、
誰かカンパを受け付ける人はいませんか・・と
尋ねたところ、やはりゼッケンと鉢巻をした男性が来て
私はお金を渡しましたが・・・・・。
断食をしているはずの家族は誰もみあたらず、
目や口が異様に尖って興奮しながら
マイクでアジテーションし、取り巻き達が拍手して
盛り上がっている姿は
一種の教条主義者や新興宗教団体の、異様な集まりに見え、
渡した私のお金は、ほんとうに有効につかわれるのかあー・・と
後悔にも似た気持ちで帰りました。
昨日のニュースで蓮池透氏が被害者の会から
除名に等しい解任を受けたと知りました。
多くの日本人が、国民が、拉致された家族に対して
心を痛み、同情を寄せていると思います。
私もソウでした。しかし、我が家のわかものたちは
ちょっと距離をもって静観しており、
若者達の間にも、そういうちょっと醒めた空気があると
知りました。
なぜか、
それは、娘や息子や兄弟が拉致された父母や家族の
心の傷や絶望がどれほど深いかは
ヨーク分ります。しかし
被害者意識がたかまるばかりに、
自分たちの窓を被害者という一方向からしか
見れなくなっていませんか?
どこかに
被害者として”特別に扱われなければ・・・”という
潜在的な思いはアリマセンカ・・・?
横田夫妻がアメリカのブッシュに会っているとき
めぐみちゃんが、めぐみちゃんが・・・という
横田さんのベタベタの感情がまとわり付いたような言葉に
私は若干の違和感を覚えました。
コレを見ている、日本で親との不毛な境遇を生きている子供や
両親に恵まれない子供、親がいても、いないほうがいいくらいの
精神的地獄で生きている子供たちは、反感をもつだろうなーと
おもいました。
被害者意識に乗っ取られると
自分たちのことしか目に入らなくなります。
無言ではあるが
自分達を遠くから見ている
違う目があることを
常に頭に入れておかないと
人間はどうしても
独りよがりになってしまいます。
人間は歯車がくるって
自分が被害をうけ、被害者という立場になることもあります。
気の毒な、ほんとうに運が悪い、という
その絶望ににたいして、祈るよりほかない・・ということも
あります。しかし
いつまでも被害者という立場と視点ばかりでは、
物事は解決していきません。
苦しいこと、困難なことを克服して
乗り越えて
被害と加害と言う矛盾することを
被害者という意識のもっと上の大きな水準と視点から
解決を図らないとなりません。
客観的に
なぜ
そういうことが起きたのか・・という
視点がないと、
いつまでたっても
"要求”という方向からしか
解決の方法が見えてきません。
今回、蓮池透氏が言っている様に
制裁ばかりに固執することがほんとうの解決の道を開くかどうか、
わたしもそう思います。
もっとしたたかに頭脳プレーをしないと
相手を追い詰めるばかりが策ではありません。
それに北朝鮮の現状が
目も当てられないくらい悲惨に
人々が苦しんでいることを思うと
なおさら、深い考えが必要です。
蓮池氏と家族会には
当事者どおしの
私たちにはしりえない葛藤や苦悩があると思います。
ほんとうは静観するしかないのかもしれません。しかし
制裁がほんとに有効なのかどうか・・・?
同様に
沖縄の基地の問題も
なにかしら
そこに被害者意識の桎梏があるような気がしてなりません。
沖縄に行ったときも
立派な道路や観光施設などの影で
静まりかえったシャッター街、
限界集落のような町をみて、
一方では、のんびりとしているとか
時間の観念が違うから・・・癒されるとか、ではなく、
一刻も早く
グローバル化した経済の厳しさに気が付いて
沖縄自身が深刻に自律経済の道をさがさないと、
補償金の裏にあるおおきな落とし穴、
取りかえしがつかない時間の残酷さを
取り残されていく現実の厳しさに
人々が気が付いているかどうか・・?
都会、東京は騒がしくて忙しくて・・というのは
紛れもなく世界経済のなかの
厳しい競争を戦っているからで、
そういう多くの人たちの労働とストレスのなかを
日本も必死で
生き残っきており、
きれい事ではなく、
現実は常に戦場だと思います。
毎日多くの社員の方々そしてその家族の生活を守るために
命を削りながら、休日にも家で仕事をしている父ちゃんを
見ていると、
お金を稼ぐことや、経済や社会の難しいこと
厄介なこと、
並々ならない努力と思考の能力を費やさないと
成って行かないと思わされます。
頭を柔軟にし
そして
被害者意識にばかりに落ちこまないで、
被害者であることを止揚する道を見つけながら
何とか自力で解決しながら
生き抜いてほしいと思います。
国会議員宿舎前で
抗議の断食をされているというニュースを見て
独りでのこのことカンパをしに議員宿舎前まで
出かけました。
現場に行ってみると、
報道の車が待機する中
道路に大勢の人達がゼッケンと鉢マキをして、
座り込みをしておりごった返していました。
その人たちはとても
普通の人たちには思えない、
まるで労働争議のような、
プロの集団というか、
団体、組織されたひとたちでした。
アレーッと違和感を感じたのですが、
当時とても拉致被害者の家族の方々に同情をしていた私は
とりあえず
その人の群れをかいくぐって、
誰かカンパを受け付ける人はいませんか・・と
尋ねたところ、やはりゼッケンと鉢巻をした男性が来て
私はお金を渡しましたが・・・・・。
断食をしているはずの家族は誰もみあたらず、
目や口が異様に尖って興奮しながら
マイクでアジテーションし、取り巻き達が拍手して
盛り上がっている姿は
一種の教条主義者や新興宗教団体の、異様な集まりに見え、
渡した私のお金は、ほんとうに有効につかわれるのかあー・・と
後悔にも似た気持ちで帰りました。
昨日のニュースで蓮池透氏が被害者の会から
除名に等しい解任を受けたと知りました。
多くの日本人が、国民が、拉致された家族に対して
心を痛み、同情を寄せていると思います。
私もソウでした。しかし、我が家のわかものたちは
ちょっと距離をもって静観しており、
若者達の間にも、そういうちょっと醒めた空気があると
知りました。
なぜか、
それは、娘や息子や兄弟が拉致された父母や家族の
心の傷や絶望がどれほど深いかは
ヨーク分ります。しかし
被害者意識がたかまるばかりに、
自分たちの窓を被害者という一方向からしか
見れなくなっていませんか?
どこかに
被害者として”特別に扱われなければ・・・”という
潜在的な思いはアリマセンカ・・・?
横田夫妻がアメリカのブッシュに会っているとき
めぐみちゃんが、めぐみちゃんが・・・という
横田さんのベタベタの感情がまとわり付いたような言葉に
私は若干の違和感を覚えました。
コレを見ている、日本で親との不毛な境遇を生きている子供や
両親に恵まれない子供、親がいても、いないほうがいいくらいの
精神的地獄で生きている子供たちは、反感をもつだろうなーと
おもいました。
被害者意識に乗っ取られると
自分たちのことしか目に入らなくなります。
無言ではあるが
自分達を遠くから見ている
違う目があることを
常に頭に入れておかないと
人間はどうしても
独りよがりになってしまいます。
人間は歯車がくるって
自分が被害をうけ、被害者という立場になることもあります。
気の毒な、ほんとうに運が悪い、という
その絶望ににたいして、祈るよりほかない・・ということも
あります。しかし
いつまでも被害者という立場と視点ばかりでは、
物事は解決していきません。
苦しいこと、困難なことを克服して
乗り越えて
被害と加害と言う矛盾することを
被害者という意識のもっと上の大きな水準と視点から
解決を図らないとなりません。
客観的に
なぜ
そういうことが起きたのか・・という
視点がないと、
いつまでたっても
"要求”という方向からしか
解決の方法が見えてきません。
今回、蓮池透氏が言っている様に
制裁ばかりに固執することがほんとうの解決の道を開くかどうか、
わたしもそう思います。
もっとしたたかに頭脳プレーをしないと
相手を追い詰めるばかりが策ではありません。
それに北朝鮮の現状が
目も当てられないくらい悲惨に
人々が苦しんでいることを思うと
なおさら、深い考えが必要です。
蓮池氏と家族会には
当事者どおしの
私たちにはしりえない葛藤や苦悩があると思います。
ほんとうは静観するしかないのかもしれません。しかし
制裁がほんとに有効なのかどうか・・・?
同様に
沖縄の基地の問題も
なにかしら
そこに被害者意識の桎梏があるような気がしてなりません。
沖縄に行ったときも
立派な道路や観光施設などの影で
静まりかえったシャッター街、
限界集落のような町をみて、
一方では、のんびりとしているとか
時間の観念が違うから・・・癒されるとか、ではなく、
一刻も早く
グローバル化した経済の厳しさに気が付いて
沖縄自身が深刻に自律経済の道をさがさないと、
補償金の裏にあるおおきな落とし穴、
取りかえしがつかない時間の残酷さを
取り残されていく現実の厳しさに
人々が気が付いているかどうか・・?
都会、東京は騒がしくて忙しくて・・というのは
紛れもなく世界経済のなかの
厳しい競争を戦っているからで、
そういう多くの人たちの労働とストレスのなかを
日本も必死で
生き残っきており、
きれい事ではなく、
現実は常に戦場だと思います。
毎日多くの社員の方々そしてその家族の生活を守るために
命を削りながら、休日にも家で仕事をしている父ちゃんを
見ていると、
お金を稼ぐことや、経済や社会の難しいこと
厄介なこと、
並々ならない努力と思考の能力を費やさないと
成って行かないと思わされます。
頭を柔軟にし
そして
被害者意識にばかりに落ちこまないで、
被害者であることを止揚する道を見つけながら
何とか自力で解決しながら
生き抜いてほしいと思います。
by denshinbashira
| 2010-03-30 11:22
|
Comments(5)

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

私も、同意見です。蓮池さんが除名されていることは知りませんでした。どうか、拉致被害者の方達が思い詰めるあまり、近視眼的になりませんように、また、政治的に利用される事が無いことを祈ってます。
0

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
寧々様お久しぶりです。お名前を発見し嬉しかったです。お元気でなによりです。