なぜ引篭もるか・・・・! |
極めて個人的なもので、
私にはまだ、メサイヤ症候群の傷痕が
完全に取り去られていないなーという
思いがあるからです。
メサイア症候群、つまり助けたがりや症候群・・・というのは
宮澤賢治のところでも書きましたが、
自分が自分を救い出す代わりに
他人を救うことを、その代償行為としてしてしまう
人たちのことです。
職業的には、
カウンセラーをはじめ、
教師や医者や教祖様やボランティアが
好きな人などには
潜在的にこういう傾向があります。
ほんとうはその人自身が
救われなければならない深層の心の傷がありますから
ツイ手を差し伸べてしまうのです。しかし
本来人間は
様々に直面しながら、
こんがらかった糸をほぐすように
その問題と格闘しながら
成長していきます。
安易に手を差し伸べることは
もしかしたら、
その人が自分の問題性に気づいたり、或いは
あがいたり、もがいたりしながらも
自分を強く鍛えていくチャンスを
奪うことになるかもしれないのです。
私自身、そういう自分に気づきながら
それでも心底その人のために、一番必要だということを
常に念頭におきながら人とかかわってきましたが、
やはりまだ
甘いです。
良寛の言葉に
”災難に合うなら、あうがよい”と言うのがありますが、
まさにそのとおりで
他者が
災難にあいながら、のたうち廻っていても
突き放し、見守っているくらいの根性が必要です。
そこには徹底的に人間を信頼するまなざしと
現実を厳しく見極める
客観的な”目”と”認識”が
あります。
今回私はつくづく
自分の中にあるその傷痕をすっかり取ってしまいたいと
思ってます。そのためには
他者との距離を徹底的に取る必要があるなあーと
思うのです。
もっと厳しく冷徹に人間を見ていたいと思います。
人間はどの人にも生命力があり
生き延びていく力があります。
それこそが人間を信頼し
人間のなかに潜む力を信じることだと
思うのです。
心からその人間の生命力を信頼できたらいいアナーと思います。
口先だけでなく
そういう風に他者とかかわれればいいなあーと
思います。
それには自分の立ち位置を
良寛のような位相までもっていきたいと
思いのです。
できるかわからないけど、
貴方は、貴方の力でいきていきな・・!と
こころから
他者を突き放したいと
思います。
他人への執着は
自分への執着でもあります。
その執着の代わりに
深く人間を信頼して突き放し
できたら路傍の石ころのように
ただ生きていたいという
願望があります。
引篭もって
よけいな手出しを一切やめ
見てるだけ。
そういう
自分になるために
まー
やるかーってなことです。
できるかなあー・・・?