下へ、下へ! |
昨年の11月だったと思うが、
父ちゃんが脳科学者の茂木健一郎さんとお会いするというので
加茂縞織で造ったグイ呑みを入れる袋を渡して貰いました。
実はこのグイ呑みを入れる袋は、
茂木さんと白州信哉さんの対談の中でヒントを得て
造った製品だからです。
そのとき茂木さんがお返しに書いて下さったのが
上の写真の「いちばんの星・・・・」と署名入りの
本です・・・可愛いネ!
先日友人との話のなかで、
最近の茂木さんのメディア露出ぶりが
話題になり
余りに多いのは
なんなのだろう・・・という話で、
私は多分無類の好奇心の持ち主だからじゃないか・・と
答えましたが、
確かにすごい露出です。
私は彼がまだこれほど大衆的に認知されるまえに
「脳と仮想」という本をよんで高く評価しました。
これは小林秀雄賞を受賞しています。
それと「脳と創造性」と言う本もやはり
大きな感動をもって読みました。
最近の本は余り読んでいないので、なんともいえないのですが
こひとも
わたしと同じく”下へ下へ”と行っているのではないかと
思います。
この”下へ下へ”と下降するということを説明すると
例えば今私が読んでいて、メチャ面白い本があります。
コレもかなりの読解力を要しますので
誰でも・・という大衆的な本ではありません。更に
その本の中には
たくさんの著名人の写真が載せられており、
そういう方々に読まれ、理解されていますよ・・ってな
裏メッセージをなんとなく感じます。
この本の著者はすごい才能の持ち主なのですが
私はちょっと違和を感じながら
読んでいます。
いうなればこの本は
上へ上へという
上昇志向を裏に持っており
いわば、大衆は、相手にされていません。
しかし茂木さんの本は逆に
底辺へ向ってベクトルが放たれ、
なんとか脳科学を理解してもらおうと
しているようにも思えます。
ともすると
その露出と平易さが大衆のなかで
消費されてしまうという危うをも
孕んでいるのですが・・・。
実はこういうわたしも
”下へ下へ”と自分を下降させようと
思っています。
最も私は大衆そのもので
ただのオバサンですが、
自分の意識の位相をどこにもって行こうか・・・と
いつも考えており
そういう話として
読んでください。
私の場合は自分を解き放ちたいという
明確な思いがあるのですが、
人間を知れば知るほど
人間が分らなくなる。
それほど人間は多様で深く、
複雑に錯綜しながら生きています。
特に
私の水平ラインの文化圏ではない人々
つまり私にとって
とても分りづらい人々が
どういう風な感性や意識や価値観を持っているのかは
まだまだ未知の世界であります。
そこは私にとっては未明の場としてあり、
正直なところ
なかなか受け入れがたい人々であり
イマダ自分の中には拒否感も作動してしまいます。
このたび引篭もりの宣言をしましたが、
それは
実は自分の上昇欲求に歯止めをして
雑草の如く生きる大衆のど真ん中まで
行こうという意志から出たものです。
よくよく自分を究めていくのは多分
上昇ではなく下降だろうと
思えるのです。
意識的に上昇していく或いは
無意識のうちに上昇願望の人の群れに入る・・・と
いうことの裏には
是非とも他者によって自分が認知されたという
願望が見え隠れします。
上昇と言うことは
より水準の高い位置に自分を運びたいという欲望でもあり、
支配欲の裏返しでもあります。(ちょっと分りづらいかな?)
社会の三角形の上に行けば行くほど
選ばれ、限られたひとしか
いけませんし、
おそらくそこでは限りなく抽象化し
先鋭に研ぎ澄まされた
素晴らしい知性の世界があるとは思います。
言葉はいよいよ難解になって行きますが
そこで
特別な人と価値付けされことによる
自我の充足もあるでしょう
しかしそれが
自我が解き放たれることなんかなーという
思いがあります。
それとは逆に
底辺を目指せば目指すほど
説明は厄介になり、
本質が理解されることが
とても困難な作業になってきます。
そこは
解かり易くないと
受け入れられないという
上とは逆のしんどさがあります。
そして
自分がより平らになっていかざるを得ないという
欲望の放棄を強いられます。
そして
底辺ほど、上への欲望を内包するという
矛盾もあります。
それでもね
それでもわたしは”下へ下へ”です。
そこに自分の場所があるような気がします。
無名で、
どこの馬の骨とも分らなくても
自分の言葉を語っていこう・・・と
思います。
理解されても
されなくても、
認知されても
されなくても、
自分をまっとうして行こう。
敬愛する良寛には
上昇志向もなく
ただスタスタと歩いていました。
大衆にとっては
乞食坊主くらいにしか
思われていなかったでしょうし
また
そんなことは意に介さなかったでしょう。
そこらがすごいなーと思います。
わたし自身カウンセリングを通じて
それだけではなく
人間のことが分れば解かるほど
人間はすべて五十歩百歩という観が湧いてきます。
確かにすごい頭脳を持っている人たちかもしれない
しかし、
その人の総体をみれば、
たかだか長く生きても7,80年の人生で
そう悟得することが
できるワケがない。
みーんな煩悩だらけですよ、きっと!
例えば、天皇だって、エリザベス女王だって
オバマ大統領だって
たぶん
私は、五十歩百歩・・・と思っていますから。
人を選ばず、自分の思うところを
まっすぐに降りていく。
茂木さんがそうかどうかは
知りません。しかし
私は自分の位相をそういう風に
したいと思ってます。
そして
大切なことは
何処に行っても
自分の基盤を揺るがさず
向き合うこと。
特に大衆社会の中は
キチンと自分の基盤をもっていないと
危ういです。
先日書きましたように
自分がどれほどの価値や意味があるかは
自分だけが知っていればいい。
他者や世間の価値などから脱却して
動ぜず、
石ころのように凡庸で価値のない、
つまり
いかなる扱われ方をしようと
平気の平左でいる。
そして
自分の言葉を語り続けていきたい。
下へ、
下へです。
下へ降りて
スタスタと
歩くことができるように
なれば
ああーもうすべてが
平らに均された自分で
生きれるでしょう。