国ごときが滅びても・・・・! |
ふっと
国家のアレコレごときに煩わされるようじゃぁーなあー!と
思い、
自分が何かをつかんだ気がした。
そのとき、あきらかに自分が
国・・・という単位を超えたような気がしたが
しかしそれは極めてふわふわっとしたあいまいなもので
ぐぁっと掴んだという感じでは
なかった。
正直に言うとわたしは鳩山の軽薄さが嫌で嫌で
特に”友愛”なんて吐き気がした。それに
あの夫人にいたっては、
こんな軽佻浮薄な女性がこの国のトップかと思うと
恥ずかしいなーとため息をついたが
フランスなんかもっとひどいみーちゃんハーちゃんが
トップレディーらいしから
あーあ
何をか言わんや・・である。
しかし鳩山だけでなく
政治家全体が劣化しており
わたしはもともと気性が激しいので
町々に
イキイキした商店街が生き返ってほしいなあーと
願っているのに・・。
票取引の道具にしてからにー、
亀井、小沢にゴトキにいたっては
雁首それえて
脳みそかち割ったろカーッ、というくらいです(笑)
ほとほと
ニュースをみるのがいやになっていた・・・のですが。
今日読んでいた本に
「国ごときが滅びても大したことではない」という記述があり
ふっと溜飲が下りた。
そうなんですよね、
わたしは無意識の内に”国”という囲いで人間を見ていたが、
そういえば第二次世界大戦でいちどこの国は崩壊したのだということを
忘れていました。
私の記憶に刻印されているのは
戦後の闇市の話や
父母がリュックを背負って闇のお米や食料を買いだしにいき
憲兵に見つからないように
逃げたという話や
国民は、国家と言う圧殺装置が敗戦した事を
ほんとうはほっとしたはずでしたね。
国家と言う囲いが崩れ落ちたなかでは
いっときの大いなる自由があり
人が賢明に自分の力で生き延びたことで、
国が崩壊してもなお
人々はたくましかったです。
戦後2年で生まれた私の頭のなかには
どうしてか、
活気にみちた闇市の商店街や
町に溢れる帰還兵の制服姿や路上で
物乞いする負傷兵や
ジープに乗ったアメリカ兵や
ぱんぱんと呼ばれていた女性達や
屑拾いや
はだしの子供たちや
頭にDDTをかけられる少女達の映像が
くっきり残っている。
おそらく子供の頃にみた映画のニュースかなんかが
そのまま脳に転写されているのかもしれません。しかし
確実なことは
ソウイウ状況でも
人々は懸命に生きていた・・と言うことです。
最近ほんとうに自分が
いよいよ厭世的になりますが
厭世的といっても
いわゆる世を嘆くというのではなく
行き着くところま行けーっというもので
もう
抛ってしまおうと言う気持ちです。
アホに
付き合いきれない・・・こういうほうが
ぴったりかなあ・・・。
いやアホというとまだ脈がある気がしますから
バカですね
バカには
付き合いきれません。
もう一度
国ごときが滅びても
タイシタコトナイッ!
バカは
いらんわ!