すべては脳のなかの出来事! |
自分の脳内のできごとだからです。」
昨日私はこう書きました。
実はこのところズーッと頭の中で
この事をなんとか分りやすく書きたい、
できるなら人間関係で苦しんでいるひとのために
書けたらいいなあ・と思ってずーっと考えていました。
人間は”脳”をとおしてしか、世のなかのこと、
世の中のモノを認識できません。
その”脳”と言うのは
脳一般ではなく、
私の脳、そう、貴女の脳、貴方の脳、で
それぞれが独自の脳世界をもって世界を認識しています。
それを骨身に沁みるほど熟知していたら、
この世のなかにトラブルは起きないでしょう。しかし
実際には人間は様々に苦しみます。
その原因は
自分の脳の基準で
外部の世界や他人の世界を測ってしまうからです。
まあ
苦しみながら分っていくのかもしれませんが、
それでも、
自分の脳が獲得した世界にはたくさんの
誤った認識や、独りよがりの歪んだ情報や
欠落から来る欲望があり、それに悩まされます。
或いは昨日書いたように
自分を防衛するために身につけてしまった
心理ゲームでドンドンじぶんの偏りが強化されたり
します。
そういう事を
カウンセリングの窓を通して
少しずつ書いていこうかなーと
思っています。
脳はそのひとが生まれおちた環境で
そのひとは独特の自分のデーターベースを作っていきます。
そして成長しながら外部世界から更に獲得したデーターを
瞬間、瞬間、日々編集して
自分と言う独特な価値観をもった世界を築いていきます。
もし
その世界が映像としてお互いに見る事ができたら
余りにお互いが違う世界を生きていることに
驚くと思います。
自分の世界(認識)にはあるけど
相手の世界にはない!と言うこともしばしばです。
多くの人が他人をみる時
自分の認識を通して、
自分と類似したものと勘違いをしている、
自分がこうだから、おそらく他人も似たようなものだろう・・・と
思い込んでしまうところから
いろんなトラブルがおきてしまいます。
例えばイジメを受けている人がいるとすると
イジメている人の脳の中には、
”いじめる”という記述があり、
その方法を持っており
またイジメのゲーム(心理)はその人の人生における自己防衛の
装置でもありますが、
いじめられている人は
その人の脳の記述に
”いじめる”がないため、
どうしてこの人はいじめるんだろと思うわけです。
そして、そのいじめに対抗する手段をもっていないために
いじめを加速させ、さらにいじめられてしまいます。
そういう時に
いじめられている人が
ああー
この人はいじめという記述が脳にあり
その人にとって何らかの必要性があり
いじめているので
私とは関係ない!と
相手を突き放してしまえばいいのです。
しかし
どうしてこの人はこんなことをするんだろう・・
私のどこかに原因があるのかしら・・などと
思い始めていくと
とたんにそこに土俵ができて
そのひとは
いじめる人と相撲を取るしかなくなってしまいます。
自分の想定外、或いは自分に理解できない他人の行動は
自分の脳の中に記述がないのだと
思えばいいのです。
そのうえで
自分にとって”いじめる”という記述は
必要かどうかを検証して
ひつようなら記述し
不必要なら捨てる。しかし
せっかく、いじめられるという体験をしたのだから
いじめる、いじめられるという人間の行為の奥にある
真相というか心理ぐらいは
掴んでおいたほうがいいと思いますけど・・・。
それと実はイジメをうける自分のほうにも
そういう人間とかかわってしまう・・・という、物語があります。
それは明日また、
書きます。