心理ゲームから抜ける。 |
すべて自分に起きてくることは
自分の脳の中の記述から始まっています。
例えば私自身が躓いて
他人との間でトラブルが起きた時も
わたしの脳の記述に何らかの
原因が必ずあります。
ふつう自分は正しいのにとか
相手の性格が悪かったとか
或いは
自分がなにか原因をつくったかもしれないなどと
原因が自分の外にあるような錯覚がありますが
トラブルが起きるときは必ず
その相手、あるいはその集団との関係のしかたに
そのひとが無意識に選び取っている役というか
位置と言うものがあります。
それはホボ本能的に、自動的に
瞬間芸としてやってしまうもので
その人独特の脳の記述によるものだと
思います。
古いというか今ではもう古典的になっているでしょう、
わたしが勉強したころのカンセリング学の中に
カープマンの三角形と言うのが
あります。
今はもっと進んでいると思うのですが
自分がはまり込んでいるパターンとして
とても参考になりますので、
基本的な理論としてご紹介します。
人間は人間関係において三つの役割を演じるというもので
1迫害者、2犠牲者、3救援者という役があり
このなかのどれかの役割をにないながら
心理ゲームをやるといわれています。
三者の傾向は、2~3才頃までの生活のなかで
自分の基礎パターンが習得されるといいます。
その習得したパターンを成人になってからも、
いろいろいアレンジを加えながらも演じていくというもので、
交流分析の開発者であるエリックバーン氏は
「人はそれぞれの独自のゲームレパートリーを持っている」と
いっています。
この迫害者、犠牲者 救援者のほかに
傍観者というのも昨今は加わっているようで
特に傍観者と言う人たちが増えていると聞きました。
人はなぜゲームをするのかというと
自分のパターンは
幼児期に獲得した基礎的な自分のデータに基づいた基本行動ですから
自分にとって一番解かり易く、ピンと来る行動様式で
たとえば自分が犠牲者になっても
その犠牲者を演じたほうが自分に実感があり、
自分らしいという感じがします。
それに関するデーターも自分たくさん集めており
演じやすい。
一番自分になじんだ生き方として
そこに陣取ってしまう。
多分身体がそのほうが落ち着くというか
しっくりいくのだと思います。
その人がもし犠牲者的な人なら、
たとえ苦痛を伴っても
迫害者より、犠牲者のほうが
ぴんとくるのでしょうね。
こういう役を演じながら心理ゲームを続けているひとの
殆どが自分がゲームをしていると気づいていませんが
もし
どうも自分は毎回毎回同じことを繰り返しているなあーと
気づいたら
直ぐにやめることです。
迫害者なら、
・はっきりと自分が攻撃的人間であることを自覚すること。
・そしてそうだとしても、決して自分を責めずに
自分のなかにある攻撃したくなる欲求の裏にある
自分の不安や悲しみを見てあげること。
・感情が高ぶるのを意識的にやめる。
犠牲者なら
それにはまず
・役割を演じない。
・悲劇のヒロインにならない。
◎ 相手の期待とは違った反応をしてみせる。
◎ です、ます、言葉を使い、相手のアダルトを呼び起こす。
◎ 相手から言われた事をオウム返しに言って
相手に気づかせる。
例 「俺は頭にきてるんだー」と言う相手に
「そう、あたまに来てるんだね」・・・と言う風に。
救援者は
・おせっかいをしないで
相手をほおっておく。
・自分が救援したくなるのは、相手を信頼できないためであるのですが、、
しっかり相手を信頼してあげること
・ 自分が救えわれたい何かがあると自覚する。
ゲームに共通するのは
お互いの否定的感情です。
お互いが信頼できず不安に取り込まれ
ついゲームをしてしまう。
迫害者も、犠牲者も、救援者もみんな
自己否定と人間不信の不安の中にいますから
できるだけ意識的に
自分を肯定する。全肯定ですよ!
以前と比べ現代は
自分の脳の中に記述されていることが
その原因にあり
原因と結果の因果関係は
それほど単純ではなくても、
とても論理的です。
しかしそれでも人間は
常に変化しています。そして
考えることができます。
最近の脳科学では、99パーセント
人は潜在意識で行動しているといわれています。
だから尚のこと
意識的に自分を変えていかないと
なかなかゲームからは抜け出られません。
自覚的に自分を変えていくこと。
少しずつ少しずつ、根気良く、
そしてなお、脳にはステキなことがあります。
セレンディピティ・・・すなわち
偶然の出会いにより脳が発火して
思いもかけずどんどん自分が変容していきます。
これは私が自分の経験からそう思うですが、
脳は、いつも自分の可能性を頼みもしないのに
探り出してくれる・・・笑い!
今玄関においているパンジーの花たちはみんな
外の光の来るほうへ向いて咲いてます。
命と言うのはきっとみんな
光のほうへ
生き延びるほうへと
自動的に導いてくれるのだと
思います。
同様に脳の使いかたも
否定ではなく
肯定へと向うことで
1000億の神経細胞と
10000個のシナップスによって
私たちの人生を
有意義にしてくれているのだと
思います。
1年ほど前ぐらいからずっと読んでいました。
子どもの頃から集団生活がずっと恐怖でした。仲間はずれになったらどうしよう、いじめられたらどうしようって。
実際、そういう目にあったのは小学校高学年から中学校2年くらいまででそれ以外はないのですが、大人になった今でも人が怖いと思う気持ちはどこかにあります。
でもそういうのも自分の心が勝手に作り出してることなのかもしれないと気がつかされました。そうなったらそうで仕方ないって思えば楽かなと・・・。
自分が悪いからと思わずに意地悪を仕掛けてくる方の心の問題なんだ・・・と切り離して考えようと思いました。
長々とすみません。
ただ一言、ここで勇気をもらったりそういう考え方ってあるんだーと思ったりしたことが何度もあるのでお礼が言いたくてコメントしました。今後も読み続けます。