犠牲者・・小沢一郎・・・? |
どちらかというと人を煽るような外観の本であったが
著者の一人が須田慎一郎さんということで、買って読み始めてみました。
「偽りの政権交代」講談社という本です。
まあ
読みはじめみたら、
日本の政治の世界のドロと闇にまみれた世界で
官僚と政治家の既得権、利権を巡っての暗躍や、
彼らの汚れきった自我がごめく話で、
読むのをやめてしまいました。
この本に書かれていることが、どれほど信憑性があるのか
わかりませんが、逆に
これが日本の政治の現実だと、目をそむけず
読みきらなきゃあーいけないのかも
しれませんが。
そこに出てくる小沢も亀井もドロドロでね、
あああー
あああーというばかりです・・・。
しかし今日は、
このところ書いている心理ゲームの観点から
”小沢一郎氏”をすこし解析してみようかと思います。
私はマスコミの報道以上には詳しくは知りませんが
ごく一般的な
ヤジウマの目で見て見ましょう。
小沢一郎の心理ゲームのベースは
”犠牲者”のように私には、見えます。
表面的には権力者とか、
総理をリモートコントロールする
迫害者のようにみえますが、
彼自身の立ち位置は”犠牲者”だと
思います。
そもそもが世襲議員で
父親がなくなったあとを
引き継いで議員になった人ですから
まあその辺、彼はほんとうに
政治家になりたかったのかなー???
それはそれとして今の小沢氏には
どうしてもこの日本で政権交代の二大政党による
議会制民主主義を完成したい。
その悲願のためには自分がドロを被り、
ヒールでもなんでもいいという
犠牲的精神があるように思えます。
他の人や世間が思うように
権力を掌握したい・・・というふうには
見えません。
自分はこの日本のためにひたすらやっているのに
という
犠牲者の嘆きがあり、
強権的にでたり、また強引だったりするのに
一方では
自分が受け入れられないと
あの泣きべそ会見のようなことになります。
良く良く見ると
この政治の荒波を越えてきたにしては
老獪な自己コントロールよりは
感情が洗練されていない幼児性を
彼に見てしまいます。とても
自我を叩いてこねて鍛錬してきたという風には
見えません。
おことわりしておきますが、
犠牲者を自分に課しているから・・といって
それが自己犠牲的な美しい良い行い・・と言うことでは
決してありません。
むしろ
そういう自己認識があるから
ダメなんです。
犠牲者のその心理の底辺には
「他者を信じられない」という
人間不信があります。
それが裏返り
自分がやるしかないという
恐ろしく膨張(肥大化)した自己幻想があります。
現実を冷徹に見極め、
信念をもって布石を打って行くひとには
覚悟をきめた明るさや
爽やかさがあるのですが、
この人には
なんとなくその行動にいつも湿度があり
ナニワブシ的な保守が
都会の人間や若い層にはウザクが
逆に地方の年配者には
魅力的に見えるでしょう。
そしてこの犠牲者の裏返しには
自分以下で弱いと睨んだものに対しては、蛇のようにその弱さに
付け込んで行く。
その犠牲者の最たる人が鳩山さんでしょう。
坊ちゃんで、世間知らずのこのノーテンキを
感情的に呑み込んで、
リモートコントロールして
ここでは迫害者と犠牲者が裏返っています。
政治の闇をたたき上げて生きてきた小沢氏にとっては
赤子の手をひねるように
鳩山さんはは単純で純真かもしれませねえ。
そして最も注目すべきは小沢さん自身が
ご自分は
気がついていないかもしれないが
ほんとうは、政権交代を完成できる・・とは
思っていないかも
しれません。そういう
あせりが透けて見えてきます。
そしてもうひとつ
犠牲者にかかっている
強烈な足かせ、
もしかしたら、多分彼には、
成功禁止令が
かかっているかもしれない。
もしそうだとしたら、・・・いや
成り行きをみていましょう。
永田町と言う世界は
魑魅魍魎とした闇の中で
もがき、あがき、潰し合いをする
不幸なる人々が集合し
ひととき、権力の蜜を吸うかもしれないが
汚れて、救いのない自我がさらに強化されて
他者を生きる人々の群れ!
やがてその残骸がは山のように積まれていく。、
そういう世界のようにも
私には見えます。
あの芥川龍之介んの「蜘蛛の糸」にでてくる、
主人公の”かんだた”と、その足元に
蠢く人々のような・・・。
実は
ほんとに気の毒な世界だとおもいますが
これらの人々の
もっとも根底にある心理は
支配欲や征服欲はもちろん、
自分を信じられないし、他人も信じられない・・・という
人間不信があり
ときにそれが裏返って
自己幻想が膨張し、
自分こそが救世主で、救援者で
なにか他人にはできないことが
出来るような錯覚と
しかしそれは自分に対する幻想が膨張したにすぎず、
直ぐに萎んでしまいますから、
裏には無力感が張り付いているでしょう。
その両極をシーソーのように,上下運動をする心理不安を補うために
権力(強い力)を身につけようと
常にコゼリアイをします。
俺よりお前が
イヤ
お前より俺がの方が
強い!・・・とね。
私の目には
小沢氏が権力志向をするのは
そこに余りにも弱い自分があるからです。
彼が、私服を肥やそうというのは
私には
余り見えてきません。
しかし
自分や他人を信じられないことが
自分を迫害者と犠牲者のシーソーゲームの中に
設定してしまう。
私は彼のなかに
ほんとうは
どうしたらいいのか分らないかもしれない、
チャイルドをみます。
感情が洗練されず、或いは
その汚れが昇華されたり、
浄化されていない彼のチャイルドは
自分の中に踊る、犠牲者と迫害者を止揚するためには
ぜひとも選挙に勝って、
”成功”という名の元に
政治の場を下りようとしているのかもしれません。
しかし
小沢さん
それもねすべては
貴方の脳の記述にも基づいた心理ゲーム、
いわば思い込みの世界です。
人を信頼し、自分を信頼し
握っているたくさんの人の手綱を解き放ってこそ
人も自分も生き、いかされるのであって、
今の貴方のやりかたで、たとえ参院選は勝ったとしても、
そこには、くたびれきった残骸はあっても
胸がすくほどの爽やかさと達成感が
ないかもしれませんよ。
自分と言う人間が自分の自我の心理げゲームをやめないかぎり、
詰り自我に纏わりついている、
欲やコンプレックスや執着を捨てないかぎり、
自己顕示や強権の武器
自己合理化する自己武装をやめてしまわないかぎり
自分も他者も安息をえることはできません。
自分の弱さを見たら、自分が墜落するので
決して足元を
見ないし、認めない。
でもしかし
全く凡庸なただの人間
強くも弱くもない
ただの等身大の小沢一郎という自分に帰らない限り
心なかにも
貴方のまわりにも
爽やかな風は
吹き抜けないかもしれません。
つまり
犠牲者も迫害者も傍観者も応援者も
すべて心理パワーゲームです。
そんなことを一切やめて
放り出して
無心に自分をなげだしたときこそ
成功禁止令が解除され
貴方の思い
貴方の行為や行動が
ほんとうの願いが
実を結ぶと思います。
多分国民の多くもそういう
無心の為政者を
求めていると思います。