ひとみしりして、何が悪いっ! |
”人みしり芸人”の出現がある。
”アメトーク”と言う番組で、”オードリー”の若林君が
プロヂュースしたそのトーくショーを見た。
昨日テレビで、大学の学生食堂が苦手で
トイレで昼飯を食べる学生が出てきているという
レポートを見た。
そのレポートでは、
その根底に
友達がつくれない・・・と言うことがその原因のひとつであると
問題視していたが、
私はやっと人間として”当たりまえのこと”が表面にでてきたなあーと
思います。
人間は反抗期という、
それまでの親や周囲の思想で生きていた子供に
"自分”という意識に芽生え、
親や周囲を超えていくために反抗する・・・という
大切な時期があります。
文明が進化したから、それまでは中学から高校、大学の初期に
でていたものが少しズレテいるかも知れませんが、
そういうときには顕著な自意識が現れ、
他人の目が気になる一方で
他人を拒否し
離人や嫌人の欲求が高まってきます。
でもね
そういう反面、自分という独特の世界が
その人に立ち上がってくるのです。
これまでの家族や学校やその他の集団のなかにまぎれていた自我が
はっきりと自分という自意識を構築していく
人間形成のうえででとてもたいせつな時で
しかし当然のことです。
問題なのは、そのレポートも同様に
誤りを言っていましたが、
友達がいるのが・・さもいいことのような
偽善を錯覚していることです。
脳の見地からいうと
脳は一人一人が個絶したその人独特の世界を造りますから、
友達というのも、いわば幻想です。
特に自意識が高揚し、
また、頭が良くて、自分独特の世界を創ろうとしている若者は
周囲から逸脱し、その逸脱を守るには
他人を排除したくなるのは当然です。
少なくとも排除までできない人間は
他人の介入を避けて
人見知りになるのが
せめてもの防衛方法でしょう。
他人から友達がイナイ・・・と思われたくないから
トイレで弁当を食べる。
それは
友達がいるのがあたりまえだという
まちがった人間認識です。
私から言うと
甘えの依存現象でしかありません。
依存関係が強い関係ほど
一体感を求め、また
一体感があるような錯覚をして強く結びつきますが、
時間の経過とともに違和や差異が沁み出してきて、
最後は険悪となるケースもたくさんあります。
なぜそういう認識が世間に流布して言ったかというと
逆に
友達なんかいない人のほうが
多いからですよ!
そういう人たちが
他人の目をくらますために
さも友達がいるようなフリをして、
ほんとうは、友達でもないのに
群れをなして、幻想をつくる。
自分の胸に手を当てて聞いてごらん
ほんうに心から気を許し、
分かり合えると友達が何人いるか・・?
一人いれば上等で
二人いれば・・・すごい!
ひとりもいなければ、
それが普通です。
先日も書きましたように
そういう友達の、仲間のなかには
必ず、迫害者、犠牲者、救援者という
力関係がおきてきます。
そういうのが
ほとほと嫌だから
独りでいるのが
何が悪い!
そのほうがまともでしょ!
人生の最初の危機でもあり
また自律のチャンスでもある反抗期、
独りでいるのが
人見知りでいるのが
なにが悪い!
逆に妙に社交的で
弁が立つ人間のほうが
将来危うい・・・。
今のわたしなんかは意識的に
引篭もり、
人絶ちをしています。
他人が入ってきて
自分が中和されないように
砦を作っているんです・・・(笑い!)
いっときますが、
この青春期に
自我を、
自分らしいことを守りきれなかったら
ずーっと他人は介入してきますよ!
がんばれ
ひとみしり!
がんばれ、
トイレの弁当学生諸君!