コメントのawhitelotusjp様はじめ 、読んでくださる皆様へ。 |
考えて苦しみ、苦しみつつも前進しながら生きていく。
そしてその間に、生きる喜びを味わいながら」、
社会の理不尽さへの「怒り」を乗り越えていかなければ
ならない。
その思いの深さ、情熱の激しさが人間の
生の原動力になる。]
安藤忠雄
以上の文は、先日頂いたコメントンの方から
思い出させていただき、
以前にこのブログでご紹介させていただいた
安藤忠雄さんの言葉です。
今朝また awhitelotusjp 氏から
痛烈なコメント頂きましたましたが
そのコメントに反論させて頂いたのが以下の私の文です。
『人間はいつもどこかにじぶんのトラウマを引っさげて生きているのがいるのが当然でしょう。
私はそういう自分を晒しているのが何が悪い!
草刈がどうととか、どうとか社会がどうとかなんては、本筋ではない、
貴君がご自分のブログを書くように、
私はこのブログを自分のために書いているのであり、
書きながら、自分をみつめ戦っている。
そのために自分の善きところも貧しきところも
ゼーぶさらけ出しています。
タイトルの”遺言”は、そういう私の強いところも脆弱なところも
全部晒しますから、どうぞ超えていってください・・という
わが子と一緒に生きてくれる次世代の人々へ向けての遺言です。
いいとか悪いとか、勝つとか負けるなんてどうでもいい。
要はわたしを踏み越えて何かを掴んで
生き延びて欲しいだけです。』
正直に言うとほんとうに
現代の女性の扱われ方には
とても嫌悪を感じます。
一つは
私自身のライフワークとして
明治の女性達の懸命な
女性の地位向上と市民権獲得の戦いを
研究し、感動したからです。
そこには
自分たちの価値を獲得するために
戦う女性達がいました。
青鞜の女性達を始め
社会の表面に登場しようと言う女性達が
いました。
また樋口一葉のように
一家の戸主として生活を背負いながらも
文筆で描き出した世界は
娼婦も酌婦も女房も奥様も
女達みーんなが
諦観や退廃の中にも、息づいていく女達の
美しさや、輝きが綴られています。そして
やっと60数年前
女性たちは選挙権を手にしました。
人間は顔かたちや容姿や裸ではありません
中身です。
本来人間はその表面的な容姿や言動の奥にあるものを
全身のセンサーで感じ取りながら
対人したものです。
それは安藤さんが書いているように
人間というものは、考えて苦しみ
考えて苦しみ、苦しみ・・・というなかで
対人も深められて行き
人間力もついていったはずです。
そこには表面的な醜悪を超えて
その人間の内部にある
人間的魅力を見抜けていたはずなんですが。
しかし
商業主義が貫徹して行く中で
表面の薄っぺらなものが、流行という
短時間のうちに次々と消費されていく・・という
日常になってしまいました。
なぜならば、
人間を深く追うものは
売れないのです。
人間を浅く表面的に扱ったものが
・・・お金になる。
世に氾濫している
勝間現象も、香山現象も
その他、
ノウハウ本やスピリチュアルも
みーんな浅く広くです。
脳や能力や心の問題がそう安易で
簡単に手に入るはずがないのに。
紀元前400年くらい前に釈迦は
人間は一切苦だといいました。
この2000年になってそれでも随分人間は
「苦」から解放されたと思いますが
現代には現代の「苦」があるように思います。
その一つが
余りにも
人間が軽く扱われてしまう。と
言うことです。
コメントの氏が言っているに
草刈氏のヌード・・・というもの、それはそれで
商業媒体のなかで
やればいいことなのですが、
朝の朝刊の一面いっぱいに出たことに
とても腹が立ちました。
そこに安直に語られている言葉にも
腹がたちました。
正直、怒りがわきましたよ!
わきまえろと・・。
一瞬浮かんだのが
朝の無防備な食卓で
子供も見るであろう新聞に
なんで、こんなものが掲載しなかればならないなか・・・という
怒りです。
この怒りのそこにはずーっと劣化していく
女性のあり方にたいする
私の絶望が在ったかもしれません。
そして私はやはり軽薄な女性が
嫌いです。
同様に軽薄な男性もです。
そして今日に至るまでには
この国はたくさんの聡明な女性が子供を育て
支えてきたと思います。
家族や
離婚の問題もそうですが
家庭とか家と言うのは
社会から帰っていく処、
家族を守るものなんです。
この国は
何時から子供のことを
考えたくなったのかと
怒りがきます。
男や女はいても
親がいない。というより親の
子供化かもしれません。
無条件で子供を守らなければ
子供は
どんどん傷だらけになってしまう。
すさんでいくのを
痛みます。
掌の中につつみ
大事に大事に成長を見ながら
子供を
”育てる”ことより
大人の事情のほうが優先される。それも
現代では
大人のエゴのほうがといったほうがいいかもしれず
そういう風にまかり通って
子供を”守る”という大人としての
当然のことが
忘れ去られて来ている・・と
嘆きます。
子供は社会で育てる・・などという子供手当ての
欺瞞にも腹が立ちますが
女性も子供も商品ではない。
赤い血が流れている人間です。
人間が生きるのは長くてせいぜい7,80ですが
でもそれはたった一度しかない人生で
そこを生きていくのは
たいへん重たいです。
それに人間はそれぞれが他人には分らない
深い不安や苦悩をもってます。
冒頭のことに戻りますが、
私達は相手の容貌や言葉の先を見ているようで
実は
きちんと向き合った時に見えてくるのは
容貌でも言葉の先でもない
その奥に透けてみえてくる
その人の内実です。
女性は裸にならないでも
その人の内実はチャンと伝わります。
若き日に私の師であるカウンセラーが
集まった相談者の女性達に問いかけました。
私はその言葉が今も忘れられません。
貴女のアイデンティティーはなに?
顔ですか?
スタイルですか?
それとも
人格ですか?と。
どんな人間も
最後は内実と内実が、ガチンコにぶつかり
そしてそこから自分と相手とを止揚する第三の道を
開いていくのです。それはホボ無意識のうちに
自然と脳と身体が情報を集め
自分用に編集していきます。
だから
結果がキチンとでるのです。
軽いものは軽く
安易なものは安易に
重いものは重く、
そして
誠実なものは誠実に
深いものは
深く
です。
人間は知れば知るほど絶望的な地平が見えてきます。
それでも
日々があり
出遭いがあり
善きことも
悪しきことも
そういうドラマのど真ん中を
わたしも
他の人も
生きざるを得ないから
とにかく
生きていると
思います。
そしてできるだけ正直に
このブログにさらして
書く。
それは
私が正しいと言ことでは
ありません。
またたくさん毒も吐きましょう。
ただ
正直に
書くということ、
それが
なにかの役に立つかもしれないし
たたないかもしれませんが
それだけでいいと
思っています。