すべて、よし! |
冬の間、まるで枯れ木のようだった葡萄の木に
美しい葉が茂りだしました。
命あるものの再生力の凄さですねー。
最近読んだ本の中にあった強烈なことば、
「命あるものは、命あるものを喰らって生きる」という
宿命・・・。
私達は、好んでこの世に生まれてきたわけではない。しかし
生まれ出でたときから、植物が芽を出し上へ上へと伸びるように
また根が下へ下へと伸び広がっていくように、
いやおうもなく生命は進行する。
その進行のなかで、
生命は生命を喰らいながら絶え間なく
自分と言うプログラムを生きていかなければ
ならない。
そこには
自分を生かすためは、
他の生命が生きていなければならないと言う
相関のなかでしか
私たちは生きれない。
そう考えると
私の頭の中が溶けてくる。
人間ははじめから
その相関のなかで生きるしかない。
或いはその循環の中で生きるしかない。
そこから逃れようもない・という残酷な宿命を
ぎーっと睨み
その共生(肯定)のプログラムと
相殺(否定)のプログラムを懐にいれる。
生命は自己が生き延びるために他の生命を喰らい同時に
自分が喰らわれる危険をいつも孕みながら生きている
それは、
私達の脳の本能プログラムに記述されており
その残酷性や不条理をごまかすために
人間と人間社会はさまざまに創り出した幻想で
生きているが
人間以外の動物は
もっと謙虚にこのふたつのプログラムに添って
生きている。
自分(生命)を生かすには常に
・自分以外のものに対して、懐疑的で否定的な自分
・自分を生かすために、危険から常に回避できるように
自分を守ろうとする策(知恵)を労する自分
・そして、同時的に共生しようとする自分があり
それらがあらゆる場面で作動しているのは
自然であり、
当然の事です。
こう考えていくと
自分の中に生まれ出てくる感情や想念が
ごく
当然なことだと納得する。
生きてものはすべて
肯定される。しかし
生きるためには
自分の中に在るネガティヴな感情も
想念も必要なんだと。
だから自分を全肯定していないと
自我のバランスが崩れてしまうだなーと
思います。
自分を全肯定して
自分の自我を動じないように鍛えて安定させ、それから
自分の中をお掃除したり、
捨ててしまったりして
生き易いようにする。
それにしても
幻想をすてると
見えてくるなあー!でも
見えてくると逆に
惑わされず、
どんどん自分が醒めて
楽になってきたように
思います。
追伸
聖書の創世記第一章の初めに神が
天地創造をしながら一日めは
光と闇を区別して・・・そえでよし・・と言うでしょ。
同じように海と陸を作ってよし、と言う風に
六日間、作ってはよし・・とされ七日目は休息。
私達も、自分の行為や言動をすべを肯定して、・・・よしと
自分に言う。
コレにつきるなあーと思います。
生きるものはすべて
よし・・です。