夢のなかで。 |
夢は、自分では気がついていない、もうひとりの自分が感じたこと
考えたこと、或いは掴んでいるデーターが意識の水面下から
ちぎれちぎれの断片として、浮いてくる・・・と
私は思っている。
夢から覚めとき、水面に浮かんできた断片を
どう解釈するかを私はいつも考えるのだが
良い夢も嫌な夢も、
自分の生き方のヒントにしている。
さて
昨日見たブログの出だしを
「若い時はちがうと思っていたが、いまは人間はみな同じにみえる」と
考えている私の向こう側には、確かにこんな記述があったように
覚えている。
若い時は他人がうらやましくて、自分より優れていたり
自分より幸福そうにみえていた。
またそれが裏返ったゴウマンさもあった。しかし
今の自分にとって
人は”それぞれの物語”を生きており
どの人間も苦く、くるしく
他人にはわからない苦労と努力の積み重ねで
みんなおなじだなーという”実感”を
受け入れなくてはなーと
いう
夢でした。
言葉にすると平板で、あたりまえのように思えるが
実は、人間がそうは思っていないことはさんざん
ドブ板のような確執に巻き込まれ
コゼリアイする現実で
思いしらされた。
現実は邪気が飛び交う・・・笑い!
自分の中にさまざまに詰め込まれた負の感情や思いは
そういうたてまえの偽善を超えて暴れだし、
他人と自分を量りにかけて嘆き、嫉妬する。
そういう乱闘の中を生きてきて今
やっと確実に
「人間はみな、おなじだなー」と
しみじみ思える自分がいる。
同じだなんだなー!
私達は懸命に「自分の人生脚本」を生きているのであり
私と他人は全くの”個々”を生きている。
クロスすることはあっても、ベクトルの方向は
違っている。
そういうことがやっと
自分の”感覚”をもって
受け入れらるようになり
夢のなかで
そういう風にうけいれてごらんなさい・・・と
自分に説得しているのである。
そうだねー。