○ その人はいつも、その人にふさわしい場所にいる! |
○ そのまま在ることを非凡にする。
○ そこにいて、そこの不在者になってはいけない
は、
○その人はいつも、その人にふさわしい場所にいる・・という
カウンセリング理論にも当てはまる。
わたしも含めて人間は常に、今いる場所・・・よりもっと
自分にふさわしい場所があるのではなかろうか・・と
青い鳥を求めてさまようが、
無意識はちゃんと、今の自分にふさわしい場所を選んで生きさせている。
例えば
潜在的に忙しいことが好きな人、或いはいそがしいことで
自分をまぎらわせることが必要な人は・・・口では休みたいとか
アアー疲れるとか言いながらも、そこを離れることができない。
また別の例で極論すれば、
いじめられることが好きな人は
自分がいじめられるような場所を潜在的に選んで行ってしまう。
争いが好きなひとは争う場所に、
惨めなことがすきな人は
自分がいっそう惨めになるようなところへ
その逆も然り・・です。
つまり
自分が今の自分を嫌い或いは否定しようとも
多分、その人は今の自分の居場所が一番居心地がよいはずである。
逆に憧れの場所を想定して考えて御覧なさい、
果たしてそこに
自分が行こうと思うか・・・?
たぶん
なにかの理由をみつけて
そうしない言い訳する自分があると思うよ!
※以上のことは個人だけでなく、家庭や家族、
組織や集団や社会や国にも当てはまります。
また
鳩山前首相のように
ウカウカと自分の身の丈以上のところに行ってしまうと
とんでもない火傷をしてしまう。今回
彼は自分の内実を思い知らされたと思います。
でも、そこから何を学びとったかだね。
たしかに、人間は絶え間なく変化し、成長し、また在る時は
思いがけない出会いのなかで、生命が輝き(エランヴィタール)ジャンプ
する。
しかしそれは、
身の丈の自分が充分に煮詰まってゆくプロセスが
その前身にあり、、
機が熟した時、ほんの少しのサジェスチョンで開花する。
そのことを理解していないと・・・欲求ばかりが空回りして
周辺をグルグルと彷徨う。
さぁーわたしも
冒頭の二行をぐっと握り締め、懐に入れて
今の場所にいる、ありのままの自分を
そのまま受け入れて、
そういう自分こそが独特で非凡である・・・と
自分に言い聞かせましょうゾ。
もうひとつ、
逆に
今の自分のどこをどのように変えていったら、もつと
自分が満たされ、自分を生かせるか、も
今の自分をヨークみつめることで、明らかになってくる。
それには
自分の知性をそこに向わせることです
自分の知性を鏡のようにして
考察や思惟に向うことです。
人間は考える葦である・・・というパスカルのことばは
沼地のなかで、ひょろひょろと、
いかにも頼りげく立っている葦のようなわたし、しかし
その葦は考えるという武器を、道具をもっている。
その人はいつもその人にふさわしい場所にいる
まさに、
ホントだね!
そして、お庭の花々の写真にも癒されていますヽ(^o^)丿