大衆バブル化した日本の政治! |
ふっと目が覚める一瞬にはっと謎が解けたような気がして
そのままうつらうつらしながら考えました。
時計を見ると1時半くらいでした。
このところ少し気になり少々嫌気も指していたことに
鳩山政権が菅政権に変わったとたんに
支持率がV字回復したと言うことです。
民主党が回復したのが嫌ということではなく、
同党の党首が交代しただけで
支持率があがり
そこにワケのわからない期待や幻想生まれるという
そういう大衆世界の軽さというか
安直さにたいして
なんだか
世の中が浮つくなあー・・・と
思って、
どうしてなんだろうーと・・・。
参院選も始まるらしいけど・・なんて
ブツブツ独り言をいいながらいたのです。
それが一瞬にして夢うつつに全面展開した・・・と言うわけです。
まあー
これも私の独特の発想から生まれきた思考ですから
一般なものとはほど遠いのですが、
とにもかかくにも、記録も兼ねて
書いておこうと思います。
もともと資本主義誕生は
イギリスの産業革命の工業技術の革命とともに
アメリカの奴隷が摘んだ綿花を、
イギリスが輸入して紡績産業にし
その綿糸や綿布を世界に売りつけるということから
始まりました。
奴隷の工賃はもちろんただです。
また産業工業社会になっていくには、
ヨーロッパの市民革命による
封建体制の崩壊から解放された市民が
自由に地方から都市へと移動し
その労働者となって登場します
つまり近代資本主義の一番根底にあるのは
利潤を上げるためには、
それなりの無理やひずみが生じるのであり、
君主封建体制から
市民が主役になり
議会制民主主義が確立する中で
デモクラシーの”主役”となった大衆の世界が
労働力として登場してきますが
しかしそれは
ほんとうにそうなのか・・・?
労働者と言う自由の身でありながらそれは
奴隷から格上げはされたけれど、
同様に収奪されている人間にすぎないではないかと
マルクスは共産党宣言を書きました。
(ものすごく雑駁な展開ですみません?)
マルクスの洞察どおり
自分たちが主権者であり
選挙件を持っているという市民幻想と引き換えに
彼らの手にした選挙権は
選挙と言う何年かに一度の投票・・という
極めてさ些少な権利でありしかも
個々人の権利はマス(大衆)という量の中に
埋没されています。
そういう大衆の主権幻想からくりと
表裏一体化しながら
資本主義経済は今日まで生き延びて来ました。
マルクスは資本主義の欺瞞を暴き
そこを革命しようとしましたが
人間の欲望の本質まで迫りきれなかったことは
後の共産主義が悲劇的な独裁を産み
敗北していったと
わたしは思っています。
さて資本主義のきわみとなった今日の社会は
同様に大衆社会の極みでもあります。
議会制民主主義で勝利するには
大衆の欲望を満たさなければならない。
或いは大衆の欲望を満たすかのような擬装をしなければ
選挙には勝てない!
そういう幻想の擬装を思い込まされた大衆は
ますます欲望を国家につよく要求するようになる。
経済の繁栄と社会保障の充実と福祉の整備などの
丸抱えを国に要求して
その関係はドンドン煮詰まってきています。
ほんとうはマス(大衆)の一人一人の自律の上に
国家があり、
逆に国家として成立するには
個々人の自律した経済と生活のうえにしか成立しえないのに
いつのまにか
国が面倒をみてくれるような錯覚と依存の幻想が
まんえんしてしまった・・ように
私は思います。
冒頭の資本主義が
資本主義国家として成立していく過程と
議会制民主主義と市民幻想が対として
一体化していく中で
双方がバブル化するんじゃないかと
わたしはうつらうつらする中で
一瞬にしておもったのです。
マスとしての大衆が抱く国家幻想は
政治幻想となって
こんなに国が行きづまり
財政がすっからかんになっても
まだ、自分たちの生活を政府に依存し
政治いかんによっては、何らか期待が持てるような
安易さと、財政が切迫しているにもかかわらず、
ばら撒くことに対する緊迫した危機感がなく、
それどころかショー化した選挙は
およそ政治には無能とおもえない候補者を乱立させ
また国家大臣にも、まるでど素人同様の人間を入閣させるなど
これはほんとに政治が大衆幻想のバブルのなかで
踊っているようとしか私には思えない。
このバブルがいつか
おそらく近い将来に
はじけるかもしれない。
なにが引きがねになるのかわからないと思うと
ああー!
18世紀の産業革命、市民革命の議会制民主主義が
世界を席捲する中で
日本も明治維新以後の工業国への転身し、
二度の大戦の後ずーっと
豊かさと自由への希求が叶えられて来たかのような
思いが私にもあります。
、
確かに生活は各段に便利で清潔で
モノは大量に豊かに溢れています、今も!
しかしもうそれももう
どん詰まりにきていて
大衆がおもっているより現実は、
破裂する寸前の風船のゴトキ
状況であるように
私には思えるのですが・・・。
もし政治のバブルがはじけ
経済が破綻したら
戦後の日本の基幹産業を輸出産業に依存してきたが
これからはどうしたらいいのか、
ほんとうは
世界中の資本主義国の経済がバブル寸前である中
大衆に対して引導を渡さなければならないのに
イマダに大衆バブルの政治が行われている。
私はまず大衆にこの国が絶望的であることを、
大衆がイマダに夢見ている年金も社会保障も
もし政治のバブルがはじけた時には
一瞬にして消失すること。
そして
こうも資本主義がどん詰まりに煮詰まってくると
もしかしたら今度はアメリカと中国の対立が深くなったり
それにロシアや西欧諸国を含めた帝国主義が
再び起きてくるかもしれない。
日本人と日本国はこの100年
余りにもうかうかと西欧の産業革命の波に乗ってしまったが
しかしまだ間に合う
日本自身が自国を等身大の国として
設定しなおし
対外的な成長をやめ、
基幹産業を建て直し
特に農業の再生に力をいれること。
自給率をあげることはもちろん
農産物の質の向上をもっと図りまた、
工業製品化してしまった食品の質を
添加物をなくした自然にちかい
もとの”たべもの”の質までもどすこと。
工業も輸出の花形自動車や電気製品などの産業から
輸出に頼らない自国循環の産業
日本独自の産業を育成し人材を育てる。
大量生産大量消費の意識を改革し
安売り量販をやめ、粗悪商品を退治し、
手間をかけ人の手が入った、質の良い生活製品を
生産販売する。そのとき、きちんと
生産が循環できるような価格帯にするなどなど
以上わたし自身は政治も経済も
どしろうとですから
知っている人から見れば
なんと
とんちんかん・・にと
思われるかもしれません。
しかし
このブログで何度も書きましたが、
この世はそこの成員である人々の心(脳)の投影です。
今の日本が政治も経済もおかしくなって来ているのなら
それは、その成員である日本人がおかしいのです。
じっと目を凝らし覚めた目で世界を見てみれば
この200年間アメリカ及び西欧諸国がいかに世界をリードしながらも
その資本主義的幻想をふりまいてきたかと
思います。
今では中国さえも資本主義化へ驀進しています。
私は資本主義を否定するものではありません。
それも人類のひとつの自然の流れとしてあり
必然なのかもしれないと
思っています。しかし
その流れは西欧的独立精神に基づいた
国家の存在の仕方で
強い自己主張と
キリスト教的征服欲、支配欲がはりついた
一元的な世界観で
日本の多様を共有する世界観とは
まったく違います。
脳の記述がまったく違うのです。
価値観や人間観や社会観なども全く違うのです。
それが今のような世界が
一元的に資本主義に収斂していく様な流れ、即ち
ブローバル化の流れの中で
日本が自己矛盾しながら成立していくには、
日本人が不得手とする
策謀をめぐらしたり二枚舌政治や戦争や収奪の中へとわけ入り
戦わなければなりません。
デデモクラシーは素晴らしいですが
しかし
その根底には
自律した市民意識が必要です。
いま
日本人は
そういう厳しい
醒めた目で自分を
自国をみつめているでしょうか・・・・。
うつらうつらする中で
ああーこれは
政治の大衆バブルだ・・・と
はっと気づきそのあと
流れるようにでてきた思いを
とりあえず今日は
書きました。
後から
矛盾や間違いが出てくるかもしれません。また
もう少し考えながら
違うことがでてくるかもしれませんし
いうなれば
これは
私の思いこみでもあります。
まあ
ぞんなことで
すみません。