他と類似した存在でいるのは 我慢ならない・・・清志郎 |
はっとするほど胸を突きます。
まだ94ページしか読んでいないけど、
ところどころに出てくる彼の作品の言葉が
私の中に斬り込んでくる。
高校生の頃、深夜にガールフレンドと話し込んだことを
歌にして
『2時間 35分』
Woh 君と話した 長い長い電話 2時間35分
Woh 話はつきない 夜がふけるまで 2時間35分 2時間35分
新記録が出た 素晴らしい夜さ 2時間35分 2時間35分
すばらしい君が ぼくを好きだって こんな気持ち初めてなのさ
なんて初々しいでしょう!
『安定や常識を拒み、他と類似した存在でいるのは 我慢ならないー』
このことばは、清志郎の言葉か
著者の神山さんの言葉かは
この本の文面からは
チョッと解らないのですが、
なんだか彼にピッタリのことばですねー。
私自身もホボこういう自分を引っさげて生きてたと思います。
とても生きづらいものでしたが、
でも、自分の芯のようなものになっています。
ギャラリストとして、アート作品に向き合う時は
いつも、こういう自分が全面に出てきて、
作品と対峙したと思います。
こういう清志郎氏があの写真にはくっきりと
滲み出ています。
大学を卒業して、結婚し、生活に追われていた頃、
学生時代に同人誌を一緒にやっていた友人で
その頃には既にコピーライターとして活躍していた
O氏から
「私は物がよく見えるから、すーっと行けるンだけど
お前は(私の事です)、あちこちに頭をぶつけながらしか、
前へ進めないってT女が言ってたぞ」と言われました。
このT女と言うのはわたしの大学時代の親友です。
要するに、
Tさんは頭が良くて要領がいいから、危険なことや、まずいことを
さらっとよけて通れるが、
頭の悪いわたしは、それが解らず、モロに頭をぶつけてじゃやーないと
前へ進めない・・・っていわれているよ・・と
彼が忠告してくれたのです。
当時T女史は、ラジオの子供電話相談室という番組で
回答者をしており
私は、赤ん坊を抱えて、家庭も旨くいかず
髪振り乱して、生活やつれの真っ最中でした。
おそらく私は満身創痍で
O氏から見ると、気の毒なくらい
不器用で、要領が悪い女だったのでしょうね。
清志郎の写真をみえると
なんだか、
自分の姿を見るように
よく似ています。
暗くて目がうつろで
きっと
ボロボロな自分を引っさげた
青春だっただろうなー・・と
思います。
当時同人誌をやっていて
わたしも”詩”を書いていたのですが、
私の作品は、飛躍が多く
言葉がパッチワーク状態でした。
T女史から、
「このひとねえー、国語力がないよ!」と
合評会の皆の前で言われて、
恥ずかしさともに、しばらくは
自分は国語力がないんだ・・・と本気で思い込んでいました。
ちょうどウド鈴木のウドちゃんみたいな感じだったかも
知れませんねー。
しばらくといっても
おそらく6,7年はそう思い込んでおりましたよ!
デモ
あるとき、多分37,8の頃だと思いますが
宮沢賢治の詩集「春と修羅」の序章の感想文を書き始めたら、
一気に言葉が噴きだしてきて、しかも
整然と文脈を為しながら・・。
自分でも驚くほど次から次へと
言葉が連結して相をなしてきました。
この文章を読んだT女史が唖然としたのは
覚えていますが、彼女が何を言ったかは
全く覚えていません。
この体験はとても貴重でした。
言葉と言うものや
音楽のフレーズもそうだと思いますが、
自分が感じたことや
ステキにおもったこと
また
すぐには説明がつかず塊のままのもの。
なにか胸がつっかえていたり
なかなか喉から外にでないけど
自分のなかに溜まっていたり
もやもやと煙っている。そんなことが
とてもたいせつなんだなーと
思います。
そういう自分のカケラや
ぼろクズみたいな、
まだ形にはなれないものが、
ずーっと自分の中でぐつぐつと発酵していて
あるとふっと
熟成が起きて
ことば(文章)になって
生まれてくる。
まだ半分しか読んでないけれど、
若い日、ほとんど毎日高校に遅刻してきて
教室には行かず屋上でタバコを吸って
寝転んでいた、清士志郎さん。
実は口下手で
音楽していないときは実に無口の
この青年の内面に
激しく屹立する自我のうねりである
『安定や常識を拒み、
他と類似した存在でいるのは 我慢ならないー』の魂!
それが、不器用に頭ばかりぶつけて生きていた自分と
かさなって
胸をつかれます。
後にフェイスペインティングして登場した清志郎が
この世の中で消費されず、風化されず
自分をまっとうしたその仮面のしたには
いつもこの魂が入魂されていたからではないかと
思います。
今の私もこれがある故に
苦しみますが
これがある故に、また
挑み続ける自分もいると
思います。