ブルースの闇と忌野清志郎! |
車中のラジオを聴いている時、
えらいブルースに詳しい人がいるなあーと
思っていたら、それが
忌野清志郎さんだった。
今回まとめて彼の作品を聴きながらやはり
彼はこの日本でブルースの真髄を生きたアーティストかなーと
思います。
ロックのマザー音楽であるブルースは
奴隷としてアメリカにつれてこられたアフリカ人の音楽で
過酷な労働や救いのない日々の中から
労働歌や、救いを求める祈りや葬式のときだけは許される
ドンチャン騒ぎの中から生まれたラグなど
私達の想像を絶するところで生き抜いたアフリカ黒人のたちの
血の結晶みたいな音楽です。
奴隷解放後、どう生きたら解らなくて、また
解放されて居場所や仕事をうしなった人々のなかで
社会からあぶれて、酒代やその日の糧を得るために
ギターを抱えて歌をうたう黒人もでてきた、
そういう暗い現実の中から生まれて来ました。
また
奴隷時代から自分の身の上を呪ったり、
主人の悪口や愚痴を吐き出しり
時には卑猥で暴力的な言葉が延々と続いたりといった
内容もおおく、悪魔の音楽といわれたこともあります。
もちろん教育など受けていないし
ほんとに日々命をつなぐだけに生きてるぎりぎりの
魂の唄です。
私が持っていた1926年代のブルースのテープには
明らかにアル中らしい黒人のよろけるような歌が入ってましたが
生きるということの苦しさを、それでも何とかよろよろ生きてるという
もはや、人間の幻想などが通用しない世界の歌。
歌を歌うしかない、歌を唄ってオアシを頂いて
泥水のように生きる・・・という
それは恐ろしく下品で卑猥で,
夢とか希望なんてヌルイ言葉など
口にもできない過酷な現実で、
忍従に耐えながら生き延びてきたという
アフリカ系黒人のうめきの中から生まれてきたのが
ブルースです。ですから
そこには当然反抗や反骨や悪意や呪いも在りますが
逆に失うものを何も持っていないどん底の人々の
あっけらかんとした天を抜いてしまうような明るさも
パワーも同居していました。
その明るさ天真さはブギウギとなりヤガテ
ロックンロールへと結実していきます。
音楽の起源はたいがいがこういう
暗くて惨めで救いがたい場所に生きる人々の
明日へのかすかなつぶやきから生まれてきます。
棄民や河原など
市民社会の外側にあぶれた場所からです。
ただそこはどん底のどん詰まりの世界で
権利も義務も豊かさもない代わりに
批判精神や反抗や反骨や権力に対するおちょくりなど
体制にたいする徹底した醒めた視線がありました。
幻想などぽいと捨てられた、冷め切った目です。
そういう泥水(アウトサイド)のなかから生まれてきたものが
次第に市民社会(インサイド)の中へ取り入れられ、
浸透していくにつれ
そのドロやヘドロや呪いはきれいに取り去られ
洗練されていきます。そしてヤガテは
市民大衆のすきな
「愛の歌」などに薄められた行きます。
こういうことは日本でも同様で
ルーツは室町時代の河原コジキであった歌舞伎が
今では”梨園”と呼ばれる離宮になってしまいましたね。
ヨーロッパのクラシック音楽でも同様で、
はじめは北アフリカ、エジプト方面の葬式の時に雇われる
泣き女が、そのルーツだといわれていますが、
それがキリスト教に取り入れられ、ヤガテは
宗教や宮廷の音楽になり、
最後はすっかり指揮者を中心にする
逆ピラミッドの秩序の・・・オーケストラに
なってしまいました。
面白いことに、人間のルーツは北アフリカと言われていますが
音楽の起源も北アフリカで、それは、
はるばるタクラマカン砂漠を超えて
日本にもきたのですね。
ただ
他の音楽がどんどんインサイダー化するのに比べて
アフリカ音楽のそのエッセンスが
奴隷や白人の理不尽な差別のなかで
不屈の反骨魂が消えずに、ブルースや、ジャズやロックの中に
残りました。
こういう魂を
おそらく清志郎さんは愛したのじゃないかなーと
私は思います。
何時までも反権力で
反抗的で
市民の安住の中に埋没しない。
異様ないでたちはそれが
彼の鎧でも在り武器でもある。
彼の
「夏の海がどうの・・とか、
君が好きとかいう歌は)作れないの。」の言葉どおり
夏の海辺で遊ぶ人のためになんか作れねぇー、
照り返す陽射しの暑い夏,汗まみれで働いて、
ふっとタバコを吸う人のために
唄う・・・。
(これはフリライターをしているうちの娘がふっと言った言葉ですが。)
そういうカスカスになった口当たりのいい唄は
歌わない、
歌えない!
清志郎さんの唄を聴きながら
最近亡くなられた、
浅川マキさんの唄を思いだしました。
彼女は暗い夜道を歩きながら
ブツブツとつぶやくように孤独をうたいましたが
エネルギーに溢れ、エレキをガンガン飛ばし
舞台を走り回る清志郎さんとどこか
似ています。
清志郎さんのあの仮面(ペルソナ)の下にある
へたれて、どうしようもなく
自己を嫌悪し、裏返って大衆を嫌悪し
上から目線で自他を断罪していた自虐意識を蹴っ飛ばし
えいっと天へと飛翔した時に
へこたれネーゾという
反骨の魂だけは
地獄だろうが
天国だろうが
持っていく。
中途半端に成功したからって
捨てねぇー。だって
それこそが
最も純粋で
キラキラ輝く
人間の魂のうめきだから・・・と。
きれいに治まってんじゃーねえよ!
人間は誰だって真っ黒くろじゃねえか、
傷だらけだけだろうが・・・。
その真っくろ黒のヘドロの中から
いつか
きらっと輝く純血の宝石が
生まれる。
なにかそういう原石の輝きを
いつも
もっていたような気がします。
怒涛のように走り抜けていった
忌の
清志郎
でした。
私の人間観も彼と同じように
あのブルースの暗い闇を決して忘れない・・・。
それこそが
人間の原点だと
思っています。