魂は悲しみ? |
私自身の人間観を再び確認にしたように思います。
まだまだ若いとき、といっても
四十は過ぎていたと思いますが(笑い)
魂とはなにか・・・と聞かれたことがあり、
とっさに、
”悲しみ”ではないか・・と答えました。
なんだかそういう風に思えたのです、その時は。
後でよくよく考えると
喜びはすぐ発散して、消えていくが
悲しみは心に刻印されていく・・・からじゃーないか。と
思いました。
当時はそれほど脳のことに詳しくはありませんでしたから、
何とくそう思ったのですが
悲しみのほうが強い電流とホルモンがが流れ、
シナップスが繫がりやすく、その人独特の価値世界を
作っていくのかもしれません。またその時は
身体のダメージが大きく、その分
回復するために
心身ともに時間がかかるのでしょう。
もーほんとうに昔のはなしですが、
カウンセリングのワーショップで一緒になった人に
なんだかへらへらと軽薄でいやだなーと思った人がいました。
四日間泊り込みでやったのですが、
一番最後の日にそのひとがやっと自分の生い立ちとその問題を
話しはじめました。
もう、私など想像もつかない衝撃的な内容で、
その人の人格がよくも崩壊しないでいられたなあーと
胸が詰まりました。いや
崩壊しなくて、ほんとによかったなあーともう
神様に感謝しました。
人間は余りに過酷で無残な状況や過去を持つ人は
物事を深く考えると、辛い自分が崩壊するので
すべてをひょうめん的なところで処理してしまいます。
だから軽薄になってしまうのですね。
そういう窓から人間をよーくみてみると
あの黒人ブルースの軽薄や下品さの深層にある
人間の”懊悩”がみえてきます。また
ブルースの単純なリズムとフレーズの中に
深い悲しみにうめきや慟哭があり、それは、
美しいメロディーラインなんかにはできない、作れない、
ラインにすると耐えられないということも、
あったのではないかと
私は思います。
ブツブツとつぶやくような、
短いフレーズの繰り返しに
ぼそぼそと心を吐きだしていた音楽だと思います。
そしてその一方では
ハチャメチャに騒いで発散するという
ブギウギも生まれ
このフレーズも単純で短いフレーズの繰り返しですが、
バカ騒ぎをする喜びの音楽です。
喜びというより、
騒ぐしかない・・という感じですが、
これがやがてロックンロールになっていきます。
アメリカ大陸で奴隷や下働きの労働に耐え、
人種差別の中から生まれたブルースが
余りに音楽として重くて厚いが故に
表面は単純で軽い。しかし
この音楽を演奏するということは
それほど簡単で安易ではありません。
きれい事の歌詞などぜんぜんマッチしませんから、
吹き飛んでしまいます。
言葉の奥にある深い闇の実相を
共有し、理解してないと
ほんとうに軽薄なだけの音楽になってしまいます。
人間を見る視線も同様で
うわっつらを撫でていると、
とんでもない反撃にあってしまいます。
光と闇とが
突き刺すように鋭く交叉しながら、
その人間の内面を作っていく。
今回書きながら
私自身の内面もあぶりだされてきて
再確認できました。
人間はほんとうに
深いです。
日本に住む イェローモンキーの僕には わからないことかもしれません。キヨシロウ 命の最後まで 音楽 やり続けたですね。彼が 本当に言いたい事は わからないところもあるのですが。私が10代後半と20代前半 よくRCサクセーション聞いていました。病から復活して ジャンプが きついのだろうなぁと 思った。人が生きるということ 人が生きた証 素晴らしい人生であれば 素敵です。音楽同好会(名前検討中