西郷隆盛の成功禁止令とシャドー! |

チョコレートコスモスが咲いてます。後ろの祠は、陶芸家の三上洋史氏の作品です。
苔蒸すようにしたいと思い、山帽子の木の根っこのところに置いていました。
コスモスの花がよく似合います。

昨日のブログに、
西郷の闇が深い!とかきましたが、
私は西郷隆盛には確実に成功禁止令とシャドーの働きが
あったと思います。
悲劇的な死をした偉人と呼ばれる人の概ねは
この成功禁止令とシャドーの働きがあるのではないかと
私は思います。
シャドーとはかなえられなかった自分の心、
つまり闇の中に葬られた本心で、
深層心理下におしこめられ、無意識の層から
その人をコントロールしようとします。それは
その人の悲しみや無念さや痛みでもあり
また、支配欲や征服欲のエネルギー源でもあります。
西郷の人望が高く、人々に慕われたことは
頭脳明晰である一方に
紛れもなく西郷の中にそういうシャドーの人々と同じ
心理の光源があったからだと思います。
西郷の明晰さは現実もよく見え
光も見えていたはずですが、にもかかわらず、
シャドーの悲しみや無念、即ち
新政府についていけなかった多くの旧武士達の
シャドー!
それを共有していたから、
残念ながらそのシャドー達の群れの中に
呑みこまれていきました。
そして西郷の中の成功禁止令が作動して
みごとに死んで生きました。
西南の役がそうです。
西郷の大きさは光もシャドーも
懐にあった大きさですが残念ながら
シャドーに対する共感のほうが
大きかっかたと
思います。
西郷の中にある深い湿度・・・それが彼の
人間的な魅力でもあったのではないでしょうか。
西郷を演じる俳優が
どこまで西郷の闇を理解できるか
それは西郷の人物デッサンとして
とても最切なことだと思いますが・・ねぇ!
同様に龍馬もそうで
しかし龍馬のほうはもっと現実的で
計算をしたでしょうから、
幕臣でありながら、勝や小栗という
世界を目にしてきた、先見の明がある人たちと交流の中で
おそらくちゃんと物事を量りにかけて
動いたと思いますよ!
彼のほうはシャドー(武市や以蔵)にたいしては
冷たかったと思います。そしてこれは
物語りの先をしゃべるようになるので書きませんが、
坂本が近づいていった中に
とんでもない人間がいます・・・けど。まあ・・・。
武市はやはりシャドーの先頭に立って
彼自身も野心があったと思いますし
途中まではシャドーのエネルギーに乗っかって
驀進しますが、最後はやはり
シャドーの中に呑みこまれていきましたね。
もともと武士道の裏側にある忠誠心などは
シャドーの裏返しですから、
そういうものを超える醒めた目と
自分の存在にたいして感情に捉われず
常に明晰な検証をしていないと
愚鈍にシャドーに呑みこまれてしまいます。
このことは現代でも同じです。
また残念ながら、
日本の社会そのものが
シャドー傾向が強く、
内向きに鎖国をしている時は
順調なのですが、
外敵が現れ、違和をつきつけられると、
それに正面から立ち向かわず、
影から策を弄してリモートコントロールしとようします・・・笑い!
あたふたと動いてしまい、
じっくり腰をすえて動かず、
敵をどう料理するかなどの策略を練る・・ではなくて、ね。
政治や外交などまるで
シャドーの手口を見ているようで
おもろいです。
だいたい成功禁止令がかかってないひとは
そういうシャドーに対しても冷酷というか冷静というか、
ぴんと来ませんから、優先順位は低くまた
そういうことを踏み超えていける
生命力をもっています。
勝などは充分醒めていて、
シャドーの愚かさも知っていたと思いますから、
光と影をちゃんと量りにかけて
生き抜いていきましたね。
要は感情がさばさばしていたということです。
日本人は情に厚く
心も優しく温厚ですが、
その分依存やシャドーが強く
成功禁止令・ブレーキがかかっている民族です。
さー
そういうことを
理解できるかなー
この国のリーダーたちは・・?

大河ドラマ「せごどん」のイメージをぶら下げていたので「西郷隆盛のナントカ」ばかり目につきました。
何故、西南戦争になってしまったのだろう。
と考えておりました。
どういう状況だったのだろうと。
こちらのブログを少しずつ拝読しております。
漢字や言葉を調べながら読んでいるので、なかなか進まないのですが、それがまたとても良いのです。
ありがとうございます。
そうですね、西郷は<西南戦争>の時に、何を考えていたのでしょうかね~。彼の深い思いを私も知りたいです。