大相撲と河原者考! |
今朝の新聞で大相撲について書かれており
やっと胸がすく思いをしました。
朝日新聞の19ページ”耕論”という記事のなかです。
そもそも伝統芸能の成りたちは
河原者達が小屋をたてて
市民社会で行儀よく暮らしている者達の
溜まりにたまったガスを抜く場として
芝居や見世物や相撲があり、そこは
清く正しくの世間さまから解放された
悪場所でもありました。だから
客がスカッとするためには
横綱は圧倒的に強く相手を
ものの見事に投げ飛ばしてしまわないと
客は欲求不満が残って
「金返せーッと座布団を投げて暴れる」
だから
1番2番は星を買ってでも、
横綱は勝たなきゃならない・・・という
見世物でした。
それが何時の間に
文化科学省さまの管轄にはいってしまい
清く正しいスポーツなんかに
勘違いされてしまいましたから
ほんとうは
暇の時には博打をうって遊んでいたのが
ばれちゃった・・・とでもいうのでしょうかねえ。
しかし
人間の社会というシステムは、常に
明るく正しく・・という規範の裏には
自由で人には見られたくないヘドロや闇が
内包されていて初めて
完成されている・・・という事を
忘れていますねー。
清く正しく、立派な偉人も
ウンコやオシッコしたり
性のプロレスだってやるでしょう。
誰でも自分が一番大切で
人を恨んだり否定したりしたくなるのは
当然の人間の心の摂理です!
イライラが溜まったり
従順なフリをして上司や組織や家庭で
自分を押し殺している人たちが
おもいっきり
毒づいて胸がすっとする、
或いは
相撲や格闘技で
自分の中にたまつた攻撃的なものや
相手をぶん殴ってやりたい
暴力的衝動を
代行してくれる。
銭を払って
溜まったものをそこで吐き出して
カタルシスしてまた、
お行儀の良い秩序社会へ帰る。
それが
市民社会の枠の外の世界
河原の無頼の世界でした。
そこは棄民や放浪者や
相撲で言うなら
おお飯ぐらいのデブで乱暴者が,
厄介払いされて
拾われる場でもあり、
小沢さんも書いているとおり
ふつうの人が入っていけない
或いは
入ってはならない
閉じられた世界でもありました。
閉じられた世界であることは
いわゆるタブーが解放される世界でもあり
賢こい為政者達なら、
そういう人間の不条理を熟知しており
よほどのことでないかぎりは、
見てみぬふりで放任してました。
だから江戸時代の警察(奉行所)は
ヤクザの一部を岡引として
同心の手先として
世の中と無頼世界を
上手にあやつっていましたね。
そういう閉じて異相の世界は
タブーが解禁されているが故に
異端や異質の者達が集まり
文化や芸術の創造の場でもあります。
おじさんやおばさんが
列をなして見に行く”印象派”の芸術家たちは
娼婦やいんばいの街で暮らし、
彼女たちをモデルにして絵を書きました。
中年女性が大好きなモジリアニなどは
横たわった娼婦があきらかにモジリアニを誘っています!
彼女らはそういうこと
つまりそこに描かれているのは
家庭婦人の敵である女達であることをを承知の上で
印象派を賞賛しているのでしょうか・・・?・・・ねぇ?
もっと遡れば、
私達日本人の住まいや衣食住のもとである
室町の文化の担い手は最高峰の智識”夢窓国師”などに
登用されえた河原ものたちであり、
河原コジキと差別を受け
市民秩序から追い出された人々の
自由で奔放な精神と感性による造形から
生まれました。
残念なことに
人間の根源や原理に造詣が深く、
高い智識と教養がなければ
なかなかこのことは理解できません。
もー何年か前になりますが
俳優の三国連太郎さんが
週刊誌のなかで
中村獅子童と対談して
自分はいつも”河原乞食”の原点に立ち返る・・と言うような事を
言っておられましたが、
そういう深い知識と自覚をもった役者も
殆どいないでしょうし
なぜ河原乞食なのか・・・という
人間を立体的に深いところまで突き詰めて
役を演じようなんて人も少ないと思います。
そもそも伝統芸能がそういう
毒やヘドロを払拭した
きれい事の文化芸・・・になってしまい、
本来の大衆に支持され、オモロクて楽しいという
命の息吹を失ってしまいましたねえ・・。
もう
硝子ケースの中の芸で
ちっとも面白くもないです。
人間の社会は余りに潔癖すぎたり
正義がかちすぎると
とても怖いことが起きてしまいます。
人間の表面をさらっと撫でて
それが通用してまう世の中で
清く正しくがまかり通るその底深くに
沈殿していくヘドロや膿を、
逆手に支配したのが
あのヒトラーでした。
弱者救済とか福祉とかの社会改革を旗に
ヒトラーが出現し
あっと言う間に
ファシズムにもっていかれました。
以下がヒトラーの政策です。
・公共事業で失業問題を解消
・中小企業のモラトリアム
・ユダヤ人(大資本)に増税して労働者には減税
・生活保護の拡大と(派遣村のような)救貧活動
・老人福祉の大幅な強化
・有給休暇や健康診断などの労働者福祉政策
・自動車税の減税
・高等教育の無償化
・母子手当による少子化対策
・大規模店舗の規制
・高利貸しの追放
・価格統制
なんだか
今の日本のきれい事ばかりを掲げる
うすっぺらい政党達と、
よく似てます。
そして、
福祉とか年金とかまるで
国家が自分達の保護者であるかのように
錯覚し始めている国民はどうなんでしょうか?
国家とは本来集団の暴力を内包した装置でもあり
アメリカなどは自国の青年達と
他国の民を
国家の安泰のものに
殺し続けています。
こういことも
高い知性や教養や鋭い洞察力がないと
見えてきません。
今日は大相撲という断片から
かなり奥まで展開して書きましたが、
ほんとうは一人一人の人間が
自分の中にある矛盾や闇を
みつめ、そして
ありのままの自分を
包容力豊かに
受け入れることだと思います。
世の中は
清く正しくではなく
もっとゆるーく
大らかに・・・でいいと思います。
ほんとうに賢くなるために
私達は
いろいろと
考えないとねえ・・。