覚悟をきめる。 |
以前にもかきました
「自分を全肯定する」と言うことが
どれほど大切かを書きましょう。
覚悟を決める。
覚悟を決めた人間はつよいですぞ。
それをもうひとつの表現いうと
何があろうと自分を全肯定している・・・というのが
その姿です。
何があろうともう
迷わないと決めて腹がすわった
状態です。
覚悟が決まらず
事としだいによっては
常に他人の動向を伺い影響され
覚悟や責任を回避しようと右往左往する人は
常に他人につけいられ、また
振り回されて生きてしまいます。
そのいい例が
今、まさに政治を巡り右往左往している
あの人々です。
以前書きましたように
小沢一郎という人には成功禁止令がかっていますから
今回立候補したとき、その禁止令が克服されているならば、
”成し遂げる”ことができるでしょうが、
成し遂げることが
できるかなー?
覚悟を決めた人は
もう、あれこれしゃべりません。
しゃべる必要がないのです。
なーんも覚悟がない人は
フラフラと良くしゃべります。
自分はこういう風に生きることに決めたんだという
その人の柱が
ドーンと立ったとき
初めて、自分と言う人間が丸ごと自分に
承認され
力強い自信が満ちてきます。
誠実に志をもって、
無心に全力を投入すると決めたんですから
周囲の雑音など
意に介さず目的に向って
着々と手を打っていくでしょうに。
しかし
今国民が目にしているのは、
時の情勢によって右往左往する
烏合の衆という
自信のない人間達の群れです。
菅総理も含めてね。
こういう人たちを見ながら
反面教師です。
私たちだって
常に迷いながら
フラフラしていませんか。
ちょっと困難なことにぶつかると
中途半端に妥協したり
取引したりして
自分の本意とはどんどん離れていく。
自分を全肯定する・・ということは
本当は物凄くむずかしいことで
なかなか出来るものではないんです。
人間は
あっと思った瞬間に、脳の中の不安信号や
迷い信号にスイッチが
入ってしまいますからね。でも
気がついた瞬間から
スイッチを切り替えて
全肯定・・・これでよし!とね。
”全肯定の自分”と言う
”定点カメラ”をどっしり据えて
廻りをしっかり見て
見極めながら生きる。
それには
自分はこういうふうに生きたいんだという
自己イメージがしっかりしていないとね。
明日はなぜ、
自分を全肯定することが
大切かの
全肯定とは
どういう内容のことを指して言うのかを
書きたいと思います。
それは人間とは・・・を
解明するものであるとも
わたしは思っていますが、
旨くつたえられるかなー・・・?
でも
書いてみましょう。