小沢氏の敗因・・・! |

茗荷谷ときゅうりで柴漬けを作りました。
ちょっといろどりが綺麗なので、お披露目です。
連載
『ばんざいー、もう直ぐ死ねるぞ!』
・この醍醐味はワカゾーにはわかるまい!
○ 小沢氏の敗因・・・!
民主党の代表戦で負けた小沢氏について、
父ちゃんがひとこと
「なぜ待てないのかなー」と
つぶやいた。
あらっ、
ワテも同じことをブログで書いたダヨ!
小沢はどうやら成功禁止令がかかっているらしい・・ことは
以前にこのブログでかきましたが、
今回も、機が熟していないのに・・・・なあーとも書きました。
わかりやすく言うと、
成功禁令がかかっていない人は、120%勝つ
或いは勝てるという時に勝負をかけてきます。
それは”ぜったい勝つ”または
”絶対、成功する”ということをめざしているからです。
そういう気迫と覚悟が現れます。
そのために準備を怠りなくととのえ、
時を待ち
機が熟したら、迷いなく
行動する。
今回の小沢氏の行動はどうですか?
どうみても、
抵抗が強く、また勝負も五分五分で更に現職の
総理に対抗するわけですから、
いくら、周囲が欲したとしても
懸命な戦いではアリマセン。
それは永田町という井戸の中の蛙だから、
世間の意志が読めなかつたということも
あるかもしれませんが、
私は
おそらく氏の中にある
不安やあせりが
深層から氏を動かしたのではないかと
思います。
つまり、
状況が自分の思惑どおりに運んでいないこと、
またズーッと持ち抱えてきた氏の”こころざし”が
カン氏の登場で水の泡になりかねないことなど
つまり
待てなかった・・・のではないかと
思います。
成功禁止令がかかっている人の
いちばん恐れること、
おそらく本人サエ気づいていない
深層の動機、心理は、
自分が成功することによる
リスクを負うことです。
例えば成功して、自分のほんとうの本番になったとき
自分の能力が試され、もしかしたら
無能であることがバレルかもしれない・・とか、
チョー過密スケジュールのなかで
命を失うことがあるかもしれない・・とか
小沢氏の場合はそれが何かは
わかりませんが、
成功することによってのしかかる責任やリスクに対して
ブレーキがかってしまうのです。
まあ
それほどまじめで真剣なのでもありますが。
だから
こういう人達は、
周囲が
良く頑張ったけど、仕方がないなあーと
好意的に納得するような状況や舞台設定の中で
万が一負けても
自分も周囲も
受け入れてくれる・・・という
戦い方をします。
ちょうど今回のように・・・ネ!
では.,カン氏が
成功禁止令がかかっていないかというと、
これまたかかっているのですが、
小沢氏に比べて
現実の厳しさを把握する能力が安易で
政治
思想も内容もあんちょくな分
軽いのです。
まあ
怖さをしらない・・とでも言ったほうが
いいかも知れません。
だから
失敗した時の傷は
あの狩野英孝・・ほどではなくとも・・・笑い!
そう深刻に彼を追いめることにはならない・・・そういう
軽いというか認識が浅いのですね。
それは、安倍、麻生、
特にひどいのが鳩山そして
菅・・・と
どれも現実認識が甘い人間ばかりが
身の程知らずに
権力に手をだしては失敗しています。
しかしちょっと
苦言を・・・言いますと。
また今回の代表で菅氏が選ばれたことを見て
私はカンでもオザワでも、どうでもよく、
どっちにしても、早く行く着くところまで
いってしまえ・・と思っているのですが
カン氏が選ばれたことは、、
ああ
日本の国民はまだまだ深刻ではないんだなーと
おもいました。なぜなら
やはり
御しやすい
無難な人間が選ばれたからです。
もし、ほんとうに切羽詰っていれば
一かバチでも
急進的で、激しいオザワのほうを
選ぶと思いますから・・・。
時代の流れをパノラマ的に俯瞰してみると、
今の政治の劣化や退行が行き着くところまで行かないと
次が
こないように
思います。
大きくは
資本主義社会の劣化と退廃を
どう超えていくのかというビジョンを
もった人間が出てこないとねえ・・。
きっと
出てくると私は思っています。
なぜなら人間は常に
絶望や虚無の砂漠の中から
学び、あきらめず
一握りの金の砂を見つけて
生き延びてきたからです。
大げさに言うとあの水棲から
陸にあがった時さえ、そこからまた
進化が始まったのですから・・ねえ・・!
ちょっと飛躍しすぎたかぁー笑い!
今はまだ地中や地下に
眠れる才能が
少しずつ
眠りから目覚める時を待ってましょう。
まあ
それまでは
飄々と
生きてましょうか、
ねぇー!
生きてるうちに
みれるか
なぁー!


このような人物に日本の趨勢を任せることを、私はそら恐ろしく思っているからです。
なぜならこの人物の振る舞いを見る限り、自分の思惑を“数”だけを頼りに推し進め、うまくいかないとみるや、自らそれを瓦解させることを繰り返すのみです。
まるで自分が思ったとおりに出来なければ、やっていたことを放り投げる子どもの様に。
それに貴方がこの人物に感じる“勝負所を間違える”ということだけでも、この“日本を任せてはいけない十分な理由”なのではないですか?

また私はそれでいいのだとも思っています。
なぜなら日本に住んでいる人たちは、誰かが抜きんでた資質を基に教導する必要があるほど愚かではなく、この地であまた起こる自然災害を“やむなき事”と受けとめ、それを“お互い様”で乗り越える“知恵”を持っているからです。
私の意見にご不興を感じるのであれば、それは申し訳なく思います。しかし、私は貴方がこのブログに書かれている“思い”については共感できるものが多々あるため、あえて述べさせていただきました。
これからも益々ご壮健でこのブログを続けていかれることを、お祈り申し上げます。