思い出す”清貧の思想” |
著者は中野孝次氏、
格調の高い心のこもった良い本でした。
しかし当時この清貧ということが、
消費を抑制するストイシズムだということで
バッシングを受けました。
なんということだと
私は嘆きました。
何でもカンでもお金本位で
哲学や思想までもがお金優先の下に置かれる
不毛な国だなあーという嘆きと諦めが
ありました。
私は若い頃から、大衆というか
群れるということが嫌いで苦手で
常に社会の多数派に対する警戒心を
持っていましたから、
社会の流れから常に引いた位置で
まあ
変わり者として
それを眺めていました。
だから
心の隅には
お金には変えられない人間の精神性や
家族の関係が崩壊していくさまを
苦々しく憤っていました。
受験や塾といって、
自由や遊びから疎外されてゆく子供達や
疲労困憊してまで会社で働く男達。
不倫は文化だとのたまう馬鹿俳優や
自分の人間性より外見や身体を優先し
露出と厚化粧、整形のバカな女性達。
ブランド品やセレブだとか・・・。
昔大宅壮一氏が
この国は一億総白痴化するといった言葉が
今、まさに響きます。
最近ふと思いついたのは
そういう
金に憑かれた狂乱の後の
荒涼たる風景が
いまの時代かとも思います。
イマダに多くは目が覚めないで
踊っている。
”清貧の思想”はストイックであれ・・と言っているのでは
ありません。
よけいな欲望や打算で
人生が脂肪だらけになってしまうのではなく、
もっとも必要なもの
最も価値のあるもの
そして
自分が身も心も幸せになるためには
何をしたらいいのか!と
問いかけます。
私の好きな道元も良寛も
みーんな
捨てて、棄てて、棄てた後に手に入る珠玉は、
何物にも変えがたい
静寂と充実の世界だと
知っていました。
欲に駆られて
不安にかられて
貪ることが
永遠に不幸という
堂々巡りのなかで
人生が浪費されていく。
昨今、今の日本を考えるに
やっとあの
つき物がついた様な
金本位の時代が
終わりかけているのかなーとも
思います。
それとも
まだまだこういうバカな
時代が
続くのでしょうか?ねえー!