ことばを生きる! |
小川のせせらぎのような・・・と
思って毎日このブログで筆均しをしている。
昨日ライターをしてる娘と、言葉について
話した。
言葉は、相手が受け取る気がない限り
無駄になること、
そして、相手が受け取りやすいように
加工する必要があること。
つまり言葉を吐くときも
常にそこにある関係性を意識していないと
ことばは生かされない!
また一つの言葉を選んだことは、その周囲に浮遊していた
まだ言葉に限定されない多く”未ことば”
(これは私の造語です)=事象が
無意識領域に沈殿していくことで、
その沈殿した”未ことば”うつまり漠然と認識している世界が
とてもタイセツナこと。
それはヤガテ脳が必要だと思った時にまた
意識へと上昇してくる。
つまり
大きな溜まりの中から必要な言葉が
選ばれ、
汚れを落として
出てくるという訳ですね。
汚れを落とすということも
とても大切で
よけいな修辞や
ぼかしやなどをつけている限り
その効果は半減していきます。
娘からそれは「モモ}の中のマイスターホラさんが言っていた
「言葉が熟してくる」ということか?と
質問されたが、
まあ
そういうことです。
日常的に流す言葉ばかり使っていると
脳はそういう構造になってしまい、
言葉は熟する時間を持つことが出来ない。
一方
旨く言葉にできないけれど、
じーっと我慢して待っていると
脳がホボ自動的にそのことを
捏ねて
ヤガテひつとの明確なイメージや言葉にして
意識に揚げてくれます。
すごいねー!
だから言葉を
粗雑、ムダに
撒き散らしてはいけない!
ことばはその人の生き方そのもので、
時には、自分を導く灯台の灯りや
港の中を走る艀のようなものです。
私たち人間が獲得した
お互いを生かし
生きるための
スゴーイ
道具なんだね。