日本の大衆を信じよう! |
去年秋田での仕事で思いがけなくも、
見てしまった、
東北地方の稲の実りの、余りにも美しい光景が
忘れられず、このブログが縁で知り合った
岩手に住む漫画家さんを訪ねて、もういちど
あの黄金の実りを見に行ってきました。
日程の関係で、半分くらいは稲刈りが終っていましたが、
それでもこの日本の実りの光景に、圧倒され
心が洗われました。
漫画家氏が連れて行ってくれた
遠野にある三陸のおいしい魚を食べさせる居酒屋で、
透き通ったイカやカジキにマグロなどの
刺身の盛り合わせ。
アナゴと新牛蒡の天麩羅にフグのてんぷら
メバルの煮付けにさんまの澄まし汁などなど
堪能し
それと彼女との尽きなく盛り上がる話で
もー
たのしかったです。
行きと帰りの新幹線で
松岡正剛・茂木健一郎の対談「脳と日本人」を
読み終えて、
こちらのほうも大変収穫がありました。
特に今の日本の現実に対して、
茂木氏も養老猛氏も
私が感じているのと同様の
”生きにくさや齟齬があることが
話されたが
それに対しての松岡氏の返事に
大変感服しました。
松岡氏は
私たち日本人にはエノトス(民族)としての意匠とも言うべき
日本独特の方法論をもって生きてきており
それは長い歴史の伝統の中で受け継がれて
日本人のちょっとしたしぐさや考え方や方法に
インプリントされて継がれて来ている・・-というのである。
私流に解釈すると、
日本人独特の存在のしかたや方法は
ずーっと無意識から無意識へとバトンされている・・・というのである。
それは、スパゲッティーをたらこスパゲッティにアレンジしたり、箸のおき方とか、お茶を注ぐ時に急須に手をそえるしぐさとか
・・つまり
私たちが無意識に身につけてしまっているさまざまな日本。
それは西洋のキリスト教的一元支配やそこからくる、
善か悪かのような対立する二元論ではなく
両方とも両立させる
「二項同体」という明治の浄土宗の思想家
清沢 満之(きよさわ まんし)の言葉で
あらわされているように
両方を共存させる方法を探すという
日本独特の論理がある。
このことについては
私自身いつも
お話していますように
アレかこれかではなく
アレもこれも、両方が救われるような解決を図る。
ということに
合致します。
私自身の中に
気づかすに流れていた
日本の方法なんだと
再認識しました。
私たち日本人の中に営営と流れ伝えられている
世界があり、
それは余りにも私たちにとって
あたりまえすぎて
気づかないが、しかし
それはひとつの原型として
この国の基礎をバトンし続けているということ
ですね。
詳しくは是非この本をお読みください!
そういうことを読みながら
考えているうちに
先日書いたブログで
今の日本の現状を嘆きましたが、
ふっと
この車窓の外に広がる
几帳面に書き割られ
誠実に律儀に育てられた
黄金の田んぼを見ながら
もうすこし
日本の民衆を
大衆を
信じてみようかなーという
思いが湧いてきました。