欽ちゃんとタケシ! |
ビートタケシの弟子はみーんなどこか破滅的で灰汁が強く
こわもてだけど、
欽ちゃんの弟子はみんな、それなりに、
小堺にしても関根にしても勝俣にしても
どこか安定し、優しいなーと思い
その差は何処から来るのだろう・・と娘と話しました。
ビートタケシも欽ちゃんも
ひとかどの人ですが、でも
映画監督で賞を取ったり、
政治の討論番組や
ニュースのキャスターなど
どこかタケシには上昇的なものを感じます。
それに比べ
欽ちゃんは
ひたすら庶民の中のコメディアンで
まあいうなれば
ダメでヘタレでヘボの位置をずーっとキープしています。
オリンピックの時も
ただの民衆の感覚で、チベットの事を言ってしまい
タケシにくそみそに批判されました。
タケシの中にはその潜在に
どうも社会正義が有るようで
それも単なる正義ではなく、
彫りの深い位置から人間の不条理をも包括するような
洞察がなされている思想で、
そのど真ん中で葛藤しているような気がします。
一方欽ちゃんは
そういう正義や不義や不条理の網目からさえも
落ちこぼれた、世の中やお上のことにまでは
入りたくない、
難しいことはわからない、と
なんだかしらないけど
お足さえくれればいいよ、という
社会のいちばんしたの
土べたにいる道化芸人のところから
そうそう動こうとはしないように
見えます。
でも私には欽ちゃんの立っている位置の方が
芸人としての矜持があるように
思います。
タケシはタケシで凄いけど
でももう彼は庶民とか
大衆とか、
民衆のはるか上位に立ってしまったような
気がします。
立派なひとに
なってしまった
気がします。
それはそれでいいと思います。
ただ
わたしは欽ちゃんの方を
愛しますねぇー。
もうこれ以上の底はないよ、という
人間の
いちばん下っぺたを
這って生きてるからこそ
底から見上げる世界には
ありとあらゆる人間のおかしさや
物狂いがみえて
それを
相対化して
茶化して笑い飛ばして
生きてる。
そういう
芸人としての立ち位置が
大切なように思うけど。
弟子に対しても
どこか
ぬるいかもしれないけど
温かい温度がある。
弟子より
師匠が
一番
だめじゃんという
『ダメ』という
凄みを
生きてるような気も
します。でも
まだまだ
どういう死に方をするかが
残っているもんね。
どうなるのか
なあー?
もしかしたら
タケシが一発逆転で
めちゃくちゃ
芸人らしい
死に方をするかもしれませんから
・・・・・・・ねえ。
欽ちゃんとタケシの弟子達の比較、面白い視点ですね。
確かに御両人の人柄がかい間見えるような気がします。