『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするか』を読んで! |
『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするか』を
読み終えた。
孤立しているという周囲の目から
逃れるために、便所ランチをする・というのです。
以前テレビで大学などでそういう若者がいるとは
知っていたが、
ああそこまできてしまったか、という思いと
それでも、いいよ、それでも自分を守れるなら、それでいいと
思う私もいました。
確かに陳腐で馬鹿げた日本の教育界と
そしてひたすら多数派の中に埋没して、
ことなかれに追随する日本の社会の
民衆の為した結果として
ついに子供や若者がそこまで追い込まれたかと
思う。
著者が分析するように
教育界に蔓延した、運動会にあのタイムを取って
タイムの横ならびに競争させるなどに見られる
悪しき平等主義とあの鳩山前首相の唱える友愛の如く
薄っぺらで透けて見えそうな口先人間至上主義が
スクールカーストやグループから外れると
落ちこぼれての烙印をおされるなど、
まーきりがないほど、
日本の教育界は腐りきった。しかし
その後ろには、それをおかしいとも思わない親たちの世界が
それを支え、その証拠に
子供を圧迫しストレスを産む元凶の
受験が、いまだ廃止されない。
著者のいうとおり
極論すればシブソレという統合失調症的な人間と
メランコリー、躁鬱がたの人間とに
二極分化していき、
子供も若者も
いよいよ、他人との関係性を
取れなくなっているのかもしれない。
でも
でもしかしねえ、
よくよく考えると
たった六十数年前の戦前の日本は
封建的家父制度の下、
父親が一元的に心理支配して
家族は発言権を持たず隷従するような
社会だったんですね。
戦後、
民主主義が入ってきて、
"自由"の概念が初めて、
民衆の中にプロパガンダされていったけど、
しかし、今も私は思うんですが
日本人は
自由の尊厳やその権利と義務を
ほんとうにわかっているのかなーと
思いますよ。
やたらと集団で自分も他人も見張りあい
検閲し、間接的な心理支配をしようとするこの
民族は・・・・。
でも
もう一度言いますが、六十数年前の敗戦まで
ずーっと自己を押し殺し
集団のなかに紛れ
たとえ家庭でも父親の強権のなかで
自己主張などを禁じられていた人々が、
つまり
ずーっと自我を挫かれていた”人間関係”のなかで
生きてきた人々が
そう簡単に
自我を強化し、孤立や孤独、しいては個絶を引き受けて
生きれるはずがない。
政治一つとっても
内向きな関係ばかりで
或いは国として
対等に渡り合うことすらできない。
明治維新まえまでは
厳しい身分制度の中で生きてきた人間が
明治維新で西洋化をはかり
表面的な富国強兵で西洋と肩を並べようとしても
その奥には、日本の集団依存の根があり
西洋的な自我の確立をはかってきたとは
思えない。
グローバル化といっても
日本の社会の底流に
自己の確立や
自我の強化
そしてリスクを負い自由を獲得する・・・ということが
どれほど理解されているのだろうか・・・と
思う。
振り返って100年をスパンとして
見てみれば
日本人は
対等な自己にもとづく人間の"関係”においては全くの
後進国です!
自我の未熟でひ弱な親に育てられた子供達は
やっと、今、
自分らしいとは・・と気づき始めている。しかし
自分らしく生きていくにはどうしたらいいか・・を
教えてもらっていない。
人間は、ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。
その生まれから、死ぬまでを自分という人間と
多くの人間が出会っては、ささやかに交流し
交換し、響きあいながら
自分らしい人生を捜しながら、
創りながら生きるんだよ・・・とは
おそわっていない。
いうなれば親も社会も
自我がまだまだくじけている、
或いはしおれている。
未熟な過渡期が
現代です。
私自身もも
堂々とそびえてゆるぎない自我の人を
いまだにあまり見たことが
アリマセン。
ましてや若者がふにゃふにゃな自我で
人間の関係をどうしたらいいのかなど
わかるはずがないじゃーないですか。
そういう若者が
自分を守るために
便所でランチを食べることも
それは彼や彼女にとっても最後の砦かもしれないが、しかし
自分を押しころし、仮面の愛想笑いや
表面的な会話のなかで、ドンドン自分が希薄になっていくより
いいよ・・・と
私は思います。
そしてもし、そういう若者が
このブログを読んでいてくれたら、
以前にも書いたが
一人一人の脳の中身はすべて違っており
もしそれを映像化して見ることが出来たら
きっと
自分が思いこんでいる他人という人間に対する思いが
180度もひっくりかえると
思うよ!、
だいいち
人間は自分のこと以外には
余り興味も関心もないし、
たいがい他人のことなど見ていない。
そういう脳の構造になっている。
人間が見ているのは、
自分の脳に写る自分の分身で
他人に自分の思い込んだ、或いは
思い込まされた、恐怖や不安やおびえ、そして
愚かしい序列の価値観や、
歪んだ自我の被害者意識や・・その他いろいろを
投影して・・つまり、写しこんでみているに
すぎない!つまり
自分が思い込んだ自分の幻を
見ているんだね・・人間という、いきものはね。
ほんとうに
馬鹿馬鹿しいかぎりです。しかし
そうはいっても
一度からだの中に刻まれた
自意識の怯えや、不安は
直ぐには取れません。
また自分が自信を持って
全面的に自分を肯定し
臍下丹田にドンと気合が
入らないかぎり
不安や迷いのなかを
試行錯誤してしまうけど、
それには
時間も年月もかかります。
歳をとればだんだん世の中の真実も
見えてきます。
だから時間をかけて
いろいろ経験しそして
優れた書物を読み
自分をそこから
少しずつ
ゆっくり
救い出してください。
人生は
時間をかけて
自分に気づきながら
自分が着こんでしまった
分厚い着物を
一つずつひとつずつ脱ぎなら
自由になって
自分を解放していく道でも
ありますよ。
今トイレランチがある・・・ということが
否定すべき現実ではなく
そこから
どう
どう生きていくかを考える・・という
大切な
ザインだと
私は思います。
ゆっくり
一緒に
頑張ろうね。
いつも読ませていただいてありがとうございます。
20代半ば過ぎまで私もトイレで食事することが多くありました。
鬱だった事もありますが、孤立しているという周囲の目は割とどうでも良くて、
一人で食べたいのに、一人だと誘われてしまうのが嫌でした。
孤立していたいのに、させてくれない。
どう見られようと放っておいてくれるなら良いんですが。
何の興味も無い話題で、同僚と友達ごっこするのは苦痛なので、
トイレでカロリーメイト2本食べて済ませていました。
「仕事をする為に来ているんであって、友達?なんか作りたくない」というのが本音…です。
今は友達ごっこが出来るようになってしまいましたが(笑…、
でもお昼休みは面倒なので、最近は食べたらすぐ仕事に戻るようにしています。
一人が楽です。
無人島で一人暮らししたいくらいです(笑。
作品の事、ありがとうございます。でも自分では何が良いのかあまり解っていなかったりします(笑。
制作は出来ていませんが、今年に入って夢が多く見られるように
なってきたので、夢日記はつけています。
denshinbashiraさんもお体大切に元気にお過ごし下さい♪