地表の中から現象を眺める! |
また読み直しにかかった。
もう、瑞瑞しい珠のような言葉のオンパレードで
癒されること、癒されること!
「どうしたら自分の心身を大地のなかに投げ入れて、
大地のなかから地表の現象をながめることが
できるか。」
大地という母なる懐の地面のなかから
無言で見上げる自分の姿は
いったいどう見えるか・・・と。
自分は自分の局部しか見えない。
その局部の意識でつい
全体を見ようとしても
見えるわけがない。
自分の局部意識を消し去るには
心身ともに静謐なる大地に意識も感情も沈めて
ただひたすらに見る。
自分という内部矛盾だらけで
傷だらけの像がそれでも
かろうじて二本の足でたっている
その感動!
どうように
同じく
「無数の境界線によって、
がんじがらめになっている人間ではなくて、
境界線のない、次第に外に広がっていく、
宇宙人間になる。」
無数の境界線によってがんじがらめになり、違和を争い
異端を廃するのではなく、
ドンナ人間も底辺に流れる透明な命のエネルギーを
共有していること。
どんな底流にも澱みや腐敗があり、
そして逆にそれを濾過し浄化する水もながれていること。
その境界線の意識が薄れ解かれて行く時に、初めて
人間という全体が垣間見えること、それが
人生の道程でもあること。
さらに
「今、現に自分が生きている、という
生の全体性があらわになっていなくてはいけない。
そういうときには、身体としての空間のかたちはないものである。
身体と心がぴったりと寄り添って、二つのあいだに境界がない。」
身体は常に意識の言うことを聞かない、
そういう身体のわがままや、離反性に
私たちは悩まされる。しかし
身体の言うことに耳を傾け自分の意識を寄り添わせせるときに
自己一致が起き、次第に身体も意識も柔軟になってくる。
素直にすなおになっていく自分がある。
こう有るべきではなく、意識の力みを抜いて
あるがままに任せると
身体の中をすーっと
言葉が通っていく。
そうして素直に自然に身体と意識がよりそうなかで、
「自分を超える、自分を超えることによって
自分の所在をたしかめる。そこに
生きることの面白さが現出するのである。」
つまり
地表の中から見た世界、自分の生きてる地平が隅々まで
見渡せると、
生きてることは
けっこう
オモロイやんか・・・と
云うわけですね。
ああ、そこまで
いきたいなあー。
余談 、アマゾンでさらに岩田先生の本を買おうとしたら
もう、絶版の書がスゴー高値がついていた。
買おうか
どうしようか
迷っているところです。
でも
素晴らしいからなー。。。。。。



