不動の山と、まとも(真艫)! |
ミクシーに彼女に対する非難記事が凄い・・・と娘から聞いて
見てみたら、
ほんとだねえー。
このところ政治がバブルだということを書いたが
まさに彼女などその典型で、
彼女は柔道で事を成し遂げたように勘違いされているが
私から見ると
彼女はいつも”金”ということばかり言い続けておりその口から
柔道がいかに魅力的で、奥が深く
高踏なる世界へと自身を誘い
身体と精神の一体化した時の宇宙観や解放や
もうそれを人生をかけて追求することが
面白くてたまらない・・・と
いうようなことは聞いたことがない!
”金”を追い続けた人間が、
もっと”特権的な金”があるよと
ささやかれたら、
ひょいとそちらへ
乗り移ったとしても
不思議でも何でもない。
そういう人間の先になにがあるかは
みんなしっているはずである、
まともならば。
まともとは
船の船尾(艫・・・とも)の帆が
風を受け
まっすぐに進むことです。
日本はあのなにもなかった戦後直ぐの時代から
もう豊かになり、物質もほぼ飽和状態になるなか
なにかを見失った。
それは金、金、金と
カスみたいな欲望を膨らませ
追い続けることではないし、
そうではないことを
もう多くの人々も気づき始めていると
思う。
もっと
自分の中に溢れ、充実してくる
生きる喜びで、
自分の中に確かな実感を伴いながら
手ごたえをかんじがら
何かを為していく。
自分らしいなんかを積み上げていくそれを
捜しているように
私には思える。
今日は先ほど
辰巳芳子先生のことを書いた。
辰巳芳子先生身体の隅々まで
自分で満ちており
だから
ことばが不動で
ゆるぎない。
誰に媚びることもなく、
自分が確信し
実感していることを
ダメなものは
ダメと
言い切ることができる。
いいものは
信念をもって
よしとする。
少なくとも私は
ここまで辿り着きたい。
谷亮子をはじめ
インスタント政治家や
次々と商品化され消費されていく
同時代の人間の
もう一方の極に
不動の山のように
しっかりと
ひとりで立っておられる
辰巳芳子先生を見ながら、
本当に為すべきこととは
そして
どう生きたらいいかを
示唆された一日でした。