素のままの相手を抱きしめる! |
そのひとの素の姿と向き合うことがいかに
むずかしいか。
たとえ夫婦でも親子でも
自分の期待や願いや、コンプレックスの裏返しの権威や
価値付けなどを、
相手にかぶせているから、
そういう人間は多いどころか、
だらけだと私は思う。
だから
その人間の素の姿が現れた時に
トラブルがおきてしまう。
なぜならそれは、
自分が相手に対して抱いているイメージとはことなる
想定外の姿だから、
なかなか受け入れらないからね。
特に夫婦は恋愛という
自分の憧れや欲望を膨張させ
それが叶うかのような錯覚で相手をみているから
現実で相手の人格の貧相さや
素行に問題があった時には
イメージはどんどん落下していく。
親子でも
親が自分の欲望やコンプレックスが裏がえった期待を
子供に課してしまうと、
子供は本当に真摯に親の期待に添おうと頑張る。
ほんとに子供はけなげに頑張るから
親はその子が自分の期待通りの力量があると
思い込んでしまい、
実は子供がアップアップして爪先立ちになっていることや
もう限界だと出して来るサインを
見逃してしまう。
トラブルが起きる・・・ということは
ほんとうは自分を見つめる
おおきなチャンスで、
逆に相手の落ちた偶像
(こういう題名の画がありましたねー)の
向こうに有る
自分の真実に気づくことができる
人生の転機でもある。
自分の内面に有る歪みやコンプレックスを検証し
自分のゆがみに気づいて
叩きなおし、
そこにある相手本当の姿、ありのままの姿を
うけいれることができるかどうか。
あるいは逆に
相手との決定的な世界観の違いを見つけて
自分の立ち位置、等身大の自分を
しっかりと認識できるかもしれない。
つまり、相手とのおおいなる違いを発見し
見切りをつけることができる。つまり
生きるフィールドが違うと
いうことに気づく。
それもとても重要なことですぞ、
生きるうえでね。
人間は愛情という
恐ろしく他人への期待を膨張させた
感情を持っている。
本当はそれを望むことは、
相手の生命エネルギーを
自分のために奪う、
使うことでもあるのに、
そういう自分のエゴには
思いが至らない。
キリスト教だって日本人はマリア崇拝に偏り
母性愛や神の愛のほうにシフトしているが
ほんとうは神様は
残酷で厳しいのですぞ・・・!
在りのままの相手は、
自分が思いこんでいたより
ずーっと愚かで貧相で、
自分が絶望するほど、がっかりさせる
小さく、弱く、能力も低いダメ人間。
けれども
それでも一緒に生きることが
できるか。
でもねえー、
そういう素の相手と向き合ってこなかった
アンタは何なのさ!と
私は度々思うよ。
勝手なイメージや期待を張りつけられて
いつも膨張した自分ばかりを期待されて、
昨日も書いたように
外套を着こんで手袋をはめた自分ばかりを
相手が愛する・・という
本人にしたら
なんともやりきれない愛され方なんだよ!
素のままの自分だと愛されない
ありのままの自分だと
愛されない!
そういう悲しみや嘆きに目を向けたことが
あるのかい?・・・。
そういう相手を愛したことがあるのかい・・・?とも
思いますよ。
まあ
トラブルというのはたいがい
そういう自分の思い込みの世界観が
ゆすぶられて起きてくる。
今の日中問題なんかモロそうでしょう、
一度くらいはあの大陸から日本海を眺めてみたらどう?
話がソレマシタ・・・トホホ。
相手の化けの皮がはげたということは
自分の化けの皮がはがれたということでもある。
すごいねえー強烈だね・・・私は・・・苦笑!
でもねえ
化けの皮を剥がして
素の自分を生きてごらんよ!
自分でもびっくりすらい気持ちがいいよ。
そして
自分でも思いもかけない新しい自分の才能が
でてくるかもしれない!
なぜって
それは自分の子供(インナーチャイルド)の溜め込んだ
自分独特の感受性が解放されてくるからだよ!
つまり
依存をやめて親や相手や社会や集団、組織や
はてには国家からも
解放されて
自分のみ・・・・になったとき
つまり、
自分をぐるぐる巻きにしている鎖が
解けたとき、
自分の中にもともとあった自分らしい生命力が
溢れてくると
言うわけです。
人間の脳は個絶しており
人間の基本は孤独で
ときに孤立するけれど
だからこそ
人間の脳のプログラムには
自力で生きる能力が
マザーデーターにあり、
脳は一瞬にして過去、現在、未来を
編集し
今を生きようと導く。
外套を分厚く着こんで、
自分を装飾したり、
擬装したりすればするほど、
この命の水の
爽快に喉を通っていくこの味は
一生味わえないってワケだけど、。
まあ
泥水ばかりのんで
いきるのもの
いいやねえー
それも
そのひとが選択した自分の
生き様だと
おもいます。
※追、今読みかえしてみると。今日のブログは強烈だね・・・自分ながら・・・笑い!
でもね、先日眠れないままにズーッと考えていたら、
明けがた、ふっとこうい愛され方をしている有る人の悲しみがジーンと伝わってきた。
それも半分はもうとうとしながらなんだけど。
忘れないうちに言葉にして・・・と思い、
書きました。
誰でもそのまんまの自分を愛されたらどんなに嬉しいかと、
生き易いかと思います。
ただ
そのためには、
気づきと自覚が必要です。
人間として、高い水準の意識になるような努力が必要だと
思います。

>恐ろしく他人への期待を膨張させた
>感情を持っている。
この言葉、ドキっとしました。
わたしは「家族」という愛情関係に過剰な期待をしてしまいます。
よく考えてみれば個人が集まっただけなので様々なのが当然なんですよね。
人間関係ってシンプルなようで複雑なようで・・。
難しいです・・・。

>トラブルが起きる・・・ということは
ほんとうは自分を見つめる
おおきなチャンスで、
この部分にとてもはっとしました。
たしかにそうだと実感しています。何も起きず平和に
暮らしていければよかったのに・・・と嘆いてばかりで
したが、トラブルによって自分のこれからの人生をどう
しようか・・・と思いっきり考えることとなりました。
まだ答えははっきりとは出ていないけど、もう少しで何かつかめ
そうな予感があって胸がざわざわとするような時があります。
強くなりたいです。


