無から空へと・・・! |
人間は生きているその日々が
命を削って生きているわけで
また自分がどう生きたら、
旨く生きれるかなんて、
そういう答えなどありません。
生きることは、
生きてみなけりゃ
わからないことだらけで、
そういう無明のなかの(暗闇の手探り)で
みーんな生きてます。
だから
その人間〔自分)が生きてきた
命を削ってきたものを
少しでもディスカウントしてはいけない。
横取りしたりしては
もっといけない。
自分も
ゼロからたちあげていかないとね。
人生において
自分は何を築き
獲得していくかを
かんがえんとね。
しかし
いずれにしても
自分の過ぎ越し過去を
十全に肯定できない限り
その先は見えてはこない。
過去には色々と
愚かなる行為が山ほどあっても
それが次(未来)への試行であったと
自覚されない限り、
それは苦々しい思い出したくない
愚行や愚挙におわる。
ドンナ人間も分っていたら
まちがわない。
やってしまった後に考えるのが
人間で
でもそれは常に未来を先取りしていく能力、
抽象的広範に考えることができる能力でもあって、
人間独特の宿命でもある。
だからこそ様々に人間は進化できたとも言える。
自分の過去を十全に生かすには
自分の未来を自分が納得して
自分をどういう風に生かすかを
過去を検証しながら考え実現していく。
それに尽きる。
百のマイナスが百のプラスに転換され
そしてそれが今度は増幅していく。
増幅して幸せとなって
最後は身体の隅々までおのれが行き渡った時に
終わりが来る。
こういうたとえはどうだろう。
身体のなかの詰ったところが貫通して
水が通っていく。
最後は
すべての通路が開かれて
からだのすみずみすべてに水が通り抜けていく。
滞るところなく滔々と体中に流れる水。
その水(エネルイギー)が宇宙と一体化したとき
私達は個という使命を終えて
透明なるエネルギーとなってまた
宇宙へ帰っていく。
※ 勘違いしてもらってはは困るんだけど
これはオカルトとかスピリチャルとかとは
全く違うからね。
そのために、
いらない意識やと感情の中にある
ゴツゴツしたもの
ドロドロとしたもの
つまずきの石やゴミや
腐ったガスもゼーンぶ燃料にして燃やしてそして
誕生から死までの命が燃やし尽くされ無になったとき
一本の道が開通して、
即ち空っぽな=空の
わたしが
成就される・・・・。
いいねえー。
生きるとは
死ぬとは
たぶん
そんなことだろうと
わたしは
考えます。