自他の分離・ひとりだけど、ひとりじゃない! |
今日は少し書いてみます。
生れ落ちた瞬間から
子供は親の庇護のもとに
育てられますから、
反抗期までは
多くの親子が一体化して
生きてます。
親の生き方や考え方、
感覚、感情など
自分に起きてくる現象に対して、
ほぼ親と同様な
反応や対処をする。
しかし子供は
成長するにつれ、
子供独自の世界観を
持つようなりますから、
だんだん親に対しては
客観的になり、
批判したり、
反抗したりして
その親から分離しようと
します。
その自分という自我ができ、
親との分離が旨くいって初めて
自分対他者という意識や
感覚が感情が出来てきます。
しかし其れが出来ず
自分の親を絶対化したり
親を神様のように信仰したり
生々しいひとりの人間としての親を
見ることができず、
理想化した親を
立派な親とか
誰を尊敬するかと聞かれたら
親と答える人などは
分離できていないことです。
親といえども
ひとりの人間ですから
良いところもあれば
嫌なところや
だめなところもあるでしょう。
子供としては、
反面教師にしたい面も
たくさん有るでしょう。
そういう風に親を
客観的にみることができ、
親といえども
チャンと距離をもって
イエス、ノーをはっきり言える。
親の心理支配から脱却して
親を突き離すくらいになると
自他の分離が出来てきたことに
なります。
親と自分がまったく違う人間であるように、
自分と他人〔他者)の違いが
よーく分るようになり、
それが自立や成熟への
第一歩となります。
子供はいつか親を離れ
自分の力で生きてゆかねばなりません。
そのためには
親との分離は絶対条件です。
しかしねえー
この日本という国は
母=菩薩という、
とんでもない母親信仰が
ありますから、
なかなか分離できない環境ですねー。
分離できている人。
自分にとって
他人とは限りなく遠い存在である・・・という
認識をちゃんと持っている人を
あんまり見たことがありません。
なぜ儒教のような親孝行が
思想として出てきたかといいう裏には、
そうしなければならない必然があったと思います。
親と子、
いずれ親は子に
乗り越えられていく。
いずれ子は親にみきりをつけ
自分の道をゆく・・・とい
親子の実相をカムフラージュしたほうがいいいという
何かがあったんでしょうね。
自他の分離が出来ない人は
自分の事を他人のことと
混同した目でものごとを見ます。
他人が限りなく自分と違う・・・という感覚や
神経がない。
自分がいちばん近くいる他人の親と
いつも自分が同じ感覚や考えや意識と
持っているため、
他人も同じと勘違いして
生きてしまいます。
だから人によっては
他人のことを
まるで自分のコトのように心配したり
悲しんだり、
或いは逆に
自分は
コウなんだろうから
他人コウしてくれるだろう
或いは
コウすべきだと
思い込んでいます。
自他の分離ができると
他人は限りなく遠い存在ですから
他人に依存することなどできません。
当然自分がなにもかも
引き受け、判断し、行動しなければなりません。
そういう自立(自律)を恐れ
依存をしている親は
同様に子供が自分に依存するように
しむけてしまいます。
親と子の共依存ですね。
日本は多いです。
社会そのものが共依存社会というか
世間様に依存しまた依存されて
大事な決断や判断まで
世間様の目を気にしてしまう社会ですから。
自他の分離が出来ないと
客観性が育たないので
自分のことをそのまま他人に当てはめたり
他人が立体的に見えませんから
すべてを自分本位に
自分のものさしで図り行動してしまいます。
おおいでしょ・・・こういう人は。
しつこいけど
もう一度、
他人は限りなく自分と違う遠い存在で
限りなく、わからない・・・といったほうがいいでしょうか。
他人は他人として、
その人独自の歴史や
積み重ねを生きており
自他の分離が出来ている人は
それがチャンと見え
尊重しますが、
出来ていない人は
誰もが自分とどっこいどっこいで
同じような意識や考えを持っているという前提で
生きてしまいます。
国家に対しても同じで、
戦後国家が一時消滅したとき
日本人はなんと生き生きとしていことか、しかし
今はべったり依存してます。
日本人くらい国家や集団や組織に依存する人々が
他にいるんでしょうか?
最後に自他の分離が出来た人と
できていない人の大きな違いは
自他の分離ができていない人は
自分が傷つかないように、
他人の心を深読みし
気を使います.
また逆に
自分が傷つかないように
必要以上の距離をとったり
他人を
シャッタアウトしたりしjます。
自他の分離が出来ている人は
自分が傷つくことより、
他人を傷つけないよように配慮し
距離をとる。
自他の分離が出来ていない人は
他人を立体的に見ることが出来ないため
不安になり、おせっかいをしたり
せわを焼こうとしたり・・
他人への介入をしてしまいますが、
分離が出来ている人は
まあ
冷たいくらい他人を突き放します。
しかしそれは
他人、つまり相手の人間的内容や意識や感情性が
全く違いますから、
自分がへたに介入することで、
相手をディスカウントしたりまた
相手の不可侵領域へ入ってはいけない・・・という配慮が
有るからです。
まあ
分離が出来ていない人jは
なんでも自分と結び付けてしまいますから、
とても傷つきやすいですねえ。
人間が成熟していくには
まず
自分が子供の頃には、
巨人のようにみえた親が
実は
自分と同じくらい
弱さや欠点をもった一人の人間であることを
ちゃんと受け入れることです。
自分も他者も客観的に
みれるようになった時
そこに
他人を尊重し
違いを受け入れる自分が
出来てきます。
ひとりだけど
ひとりじゃない
静かな
共感の
世界です。
がんばろうね!