2010年 11月 16日
ひとを愛するとは・・・そのⅢ。 |
人間はね、ちゃーんとモノを見る目があるの。でも
それは表面意識ではない、
もっと心の底のほうで、
そこではちゃんと
見抜いているんだけれど、
まあ、いずれは脳科学者たちが
解析してくれると思うけど、
意識の中間というか
その辺にこびりついている
さまざまな偏見やコンプレックスや、
恐れや怯えや不安という
ネガティヴなものが、
ほんとうのことを
意識することを
阻んでいるんだねえ。
”人を愛す”というときも
その欲求は、そこを通過しながら
さまざまにその人の意識を濁らしたり
垢をつけたりするだねえ・・。
たとえば
赤ん坊が生まれたときはもう純粋に
愛おしくて、可愛いと思うけど
だんだん育てる過程で
親にとっていい子にしたいとか
頭が良くて勉強ができるとか
他の子より能力や
容姿がいいとか
最近聞いた話では
フィギアスケートの世界など
親の虚栄がすごいらしい・・・聞いてビックらした!
子供たちはね、
純粋に自分が愛されることを
望んでいるけど
親や周囲の人間が
いい子や
能力があるとか
親の期待や欲求に添わないと
自分は愛されないと思ってしまい
心がだんだん
そういう
くだらない垢や濁りのなかに
はまっていくんだねえ。
自分を見るメガネが
どんどん濁っていくねえ。
そうすると
大人になったとき
純粋にひとを
見れなくなる。
その人の容姿や
能力や
社会的評価や
将来的な価値など・・・etc。
それに
自分の欠落を埋めてほしいという欲求や
感情や性欲も入って・・・。
でもね
それらはみんな
自分から見た相手への評価というか
思いでねえー、
その人を愛することは
違う
と
私は思います。
そういう意識の
もっと底のほうにある
もう一つの自分の目はね、
相手の裸の姿をみているの、
だからその裸と
自分が思いこみ、
望んでいる姿とが
ある落差をもよおしたとき、
人は不安になり
こんなはずじゃない・・と
相手の姿を
自分の意識のイメージのほうへと
修正しようとして
トラブルになります。
そのとき
捨てられるのは
相手の裸のほんとうの姿で
逆に自分のイメージ通りに相手が回復すると
安心して、
トラブルはおさまっていく。
つまり
幻想や
思い込みのほうを
愛そうとするわけだ・・・。
それって
人を愛することとは
違うねえ。
自分の思い込みやイメージは
全部外れたけど
社会的地位も
名誉も
評価も
みーんな
自分の望みとは
大違いだけど。
そこにるその人が
震えるように小心で
欠点だらけで
だめで
どうしようもないけど、
でも家族のために頑張って
弱いながらも
懸命に生きてる・・・という
裸の姿を
愛せるか?
カウンセリングが進むと
そのひとの
いちばーん弱い姿が
顕れてきます。
赤ん坊のように無防備で
でも
純粋で濁りのない
やわらかい
その人の魂。
そうは言っても、
みんな、
自我の汚れ
自我のゆがみ、
自我の垢もいっぱい
こびりついていてねー、
それを取り除くには
よういじゃあない!
大変なんだ!
でも
それらを取っ払うとね、
やさしくて
素直で透き通るような
その人の魂が
うずくまっている。
ひとを
愛したいと思うのなら
まず、
無条件に
相手を愛せるよう
同時に
自分の垢や汚れをとりさった暗闇で
うずくまっている
ひとりぼっちで
さびしい自分を
ひろいあげることだねー。
そして自分の懐のぬくもりで
温めて、温めて
再びの魂の復活を
していくことだと
おもいます。
できると
いいねえー!
それは表面意識ではない、
もっと心の底のほうで、
そこではちゃんと
見抜いているんだけれど、
まあ、いずれは脳科学者たちが
解析してくれると思うけど、
意識の中間というか
その辺にこびりついている
さまざまな偏見やコンプレックスや、
恐れや怯えや不安という
ネガティヴなものが、
ほんとうのことを
意識することを
阻んでいるんだねえ。
”人を愛す”というときも
その欲求は、そこを通過しながら
さまざまにその人の意識を濁らしたり
垢をつけたりするだねえ・・。
たとえば
赤ん坊が生まれたときはもう純粋に
愛おしくて、可愛いと思うけど
だんだん育てる過程で
親にとっていい子にしたいとか
頭が良くて勉強ができるとか
他の子より能力や
容姿がいいとか
最近聞いた話では
フィギアスケートの世界など
親の虚栄がすごいらしい・・・聞いてビックらした!
子供たちはね、
純粋に自分が愛されることを
望んでいるけど
親や周囲の人間が
いい子や
能力があるとか
親の期待や欲求に添わないと
自分は愛されないと思ってしまい
心がだんだん
そういう
くだらない垢や濁りのなかに
はまっていくんだねえ。
自分を見るメガネが
どんどん濁っていくねえ。
そうすると
大人になったとき
純粋にひとを
見れなくなる。
その人の容姿や
能力や
社会的評価や
将来的な価値など・・・etc。
それに
自分の欠落を埋めてほしいという欲求や
感情や性欲も入って・・・。
でもね
それらはみんな
自分から見た相手への評価というか
思いでねえー、
その人を愛することは
違う
と
私は思います。
そういう意識の
もっと底のほうにある
もう一つの自分の目はね、
相手の裸の姿をみているの、
だからその裸と
自分が思いこみ、
望んでいる姿とが
ある落差をもよおしたとき、
人は不安になり
こんなはずじゃない・・と
相手の姿を
自分の意識のイメージのほうへと
修正しようとして
トラブルになります。
そのとき
捨てられるのは
相手の裸のほんとうの姿で
逆に自分のイメージ通りに相手が回復すると
安心して、
トラブルはおさまっていく。
つまり
幻想や
思い込みのほうを
愛そうとするわけだ・・・。
それって
人を愛することとは
違うねえ。
自分の思い込みやイメージは
全部外れたけど
社会的地位も
名誉も
評価も
みーんな
自分の望みとは
大違いだけど。
そこにるその人が
震えるように小心で
欠点だらけで
だめで
どうしようもないけど、
でも家族のために頑張って
弱いながらも
懸命に生きてる・・・という
裸の姿を
愛せるか?
カウンセリングが進むと
そのひとの
いちばーん弱い姿が
顕れてきます。
赤ん坊のように無防備で
でも
純粋で濁りのない
やわらかい
その人の魂。
そうは言っても、
みんな、
自我の汚れ
自我のゆがみ、
自我の垢もいっぱい
こびりついていてねー、
それを取り除くには
よういじゃあない!
大変なんだ!
でも
それらを取っ払うとね、
やさしくて
素直で透き通るような
その人の魂が
うずくまっている。
ひとを
愛したいと思うのなら
まず、
無条件に
相手を愛せるよう
同時に
自分の垢や汚れをとりさった暗闇で
うずくまっている
ひとりぼっちで
さびしい自分を
ひろいあげることだねー。
そして自分の懐のぬくもりで
温めて、温めて
再びの魂の復活を
していくことだと
おもいます。
できると
いいねえー!
by denshinbashira
| 2010-11-16 08:51
| ひとを愛するとは
|
Comments(1)
書いているようなことがこれから先「できるといいなぁ」と心底思います。
自分でうっすら気づきはじめて愕然としている深い深い穴と、それをとことん覗こうと覚悟をしたばかりの時にこの文章をよませていただきました。
他人の言葉という形で目にすることで、まだうすぼんやりしているものの輪郭が現れてきています。
淡々と冷静語られている言葉は、心に斬り込まれるような気持ちになりますが、同時に気づきになって色々な根深いものがとけだしていき楽になっていきます。
有り難うございます。
自分でうっすら気づきはじめて愕然としている深い深い穴と、それをとことん覗こうと覚悟をしたばかりの時にこの文章をよませていただきました。
他人の言葉という形で目にすることで、まだうすぼんやりしているものの輪郭が現れてきています。
淡々と冷静語られている言葉は、心に斬り込まれるような気持ちになりますが、同時に気づきになって色々な根深いものがとけだしていき楽になっていきます。
有り難うございます。
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