ひとを愛するとは・・・そのⅣ |
自分(主体)が立っていないことにはねー。
自分の愛は自分が賄うくらいでなくちゃー!
自分が立っていない人間は
”愛される”ことばかり考える。
どうしてもそこに依存が生じるから
相手からエネルギーを
奪おうとする。
もし
エネルギーが
目に見えるものであったら
人間は自分の欲の深さに
驚くだろうねー!
相手も自分同様の
一日分をこなす量の
カスカスのエネルギーしかないことが
見えれば
きっと自分の行為を慎むと
思うよ!
自我の垢や汚れを取っていくと
自分にかかっている
ブレーキも外れてくるから
脳の質力も上がってきて
他人に依存しなくても
十分自力でいけるよ。
まず
大地にしっかり足を踏ん張って
自力で立つことことを
そう決心して
自覚する…。
覚醒するともいいます。
そして
この素晴らしい”脳”という器官を
フルにつかって
たくさん経験し、体験し
情報を収取して、整理して
分析して、考察して、
行動していく。
不安も怖れも、
みんな思い込まされて
自分が内側から自分を
脅しているにすぎない!
いつの日か
人間がお互いのエネルギーを
奪い合わない日が来ることを
ねがいますが、
あと百年はかかるかあなあー。
今の地上では
エネルギーの奪い合いで
戦争まで起きているのも
しっかり
今の人間の存在のしかたが
投影されているのだと
私は思うけど。
自分の心をずーっと掘っていくとね
自分のほんとうの心がね、
裸の自分を愛してほしいと
思っているように
他人(相手)も
そう願っている。
本人の意識では
気がついていなくともね。
喜び、怒りや、悲しみの根源は
その裸の自分から来るのだと
わたしは思います。
その底のほうから
存在の震えが
感情になって
ストローのように
あがってくるのだね。
体中の毛細血管を伝って
震えながらね。
日常のなかでは
ほとんど自分のそういう根源には
気づかずに生きてるけど
あるとき
ある瞬間に
ふっと突っ張っいる自分が
揺すぶられて、
自分の自分(たましい)が
出てくる。
※たましいという言葉を
安易に使いたくないんだけど、
なんだか、そんな気がして使いました。
みんな
おなじだね。

