積み木くずしの虎! |
積み木をつみあげては崩してしまうという
少女の自己崩壊過程を表す言葉でしたね。
私も自分の中に同様の強烈な”いきもの”がいて
ある瞬間、ソイツが顔をだし、荒れ狂い、
せっかく積み上げた自分の平和の塔を
一気に崩してしまいます。
先日もこのブログを検閲し
書くことをやめさせろ・・・と
圧力をかけてきた人間たちに対して
激怒しました。
あの時血圧が急激にあがったせいか、
左目がいまでもおかしい。
それくらい激しい心身の動揺があったんですね。
大げさに言えば
日々
私がいろんなことを諦め
自分の命を削るよう書いている
たったひとつ残した私のたからものを
けがされた気がしました。
すんなり胸におさめておけば
四方八方丸く収まるものを・・・と
気の利いたにんげんならするかもしれません。
しかし父ちゃんは
”虎の尾を踏んでしまった”と
言いました。
私は
虎(猛獣)なんです・・・笑!
今朝もある本の
「自分が自分にであう」という言葉を
読みながら、
日常の中に静かにおさめて檻の中で
眠らせていた、もうひとりの自分という猛獣が
こころない人間達につつかれて
目を覚ましてしまったのだなーと
思いだしました。
猛り狂うその怒りの内側には
むせぶように泣いている
自分の悲しみがあって
もう
土手が崩れてしまった。
おとなしくしていれば、
住むところもエサも保障されるのに
なんで、それほど激しく
なってしまうのか・・・?
と自分に問いかけます。
でもね、
そう考えている自分の目の隅のほうに
ごろごろとたくさんの自分の死体が
転がっているのがみえました。
今までの人生で
自分が見捨てた自分の姿です。
自分が押し殺して
見ぬふりをした自分の姿です。
その時
積み木なんか
積み上げたって
なんのクソにも
ならない。
(下品でスミマセン)
それで失うものなら
初めからなかったんだ・・とも
気づきました。
実は今読んでいるのは
岩田慶治著「カミと神」(アニミズム宇宙の旅)
という本です。
まだ途中ですが
神はすべてに偏在していると・・・先生は
言います。
人間が人間の言葉で”神”と名付け
いかにも窮屈そうに、
大伽藍や、大神殿のなかに鎮座ましますのは、
「神」の末路、
そのなれのはてなのだ・・・と
先生は書いておられます。
いきもののほんしょうにも神が
偏在しているなら
この猛り狂う私の本性もまた
神の掌のなかにあり
生き物を
生かすことが
神の御業なら
私の内なる虎もまた
殺さずにおこう。
しかしどうぞ
しばらくは、
穏やかに
眠っていてほしいと
願っています。
(笑い!)
