嫉妬と怒りについて! |
書いてみます。
怒りも嫉妬も
自分の存在がディスカウントされたと
感じたときに起きる感情で
その裏には
自分の想定外事が起きる(起きている)不安や
それに対する無力感などがあります。
自分という存在が他者によって揺すぶられ、浸食され
無視されたりしたときの
不安定になったときの自我の危機意識です。
自我が不安定になると、
エネルギーが低下していきますから
その時に自分を奪い返そうとして、
怒りが湧いてきます。
その時すぐ怒りをバンと出せるのは
とても健康で、
子供の喧嘩などは、
そのとてもいい例ですね。
しかし
怒りを出すことに躊躇して我慢という
怒りを出すことを抑圧している場合は
怒りは消えることなく
その人の内面に内向して、
蓄積されていきます。
その蓄積がたまると
恨みや呪いとなって
どす黒くその人間の自我に影を
与えていきます。
よく私は怒りをガンガン燃える直火の
エネルギーだとすれば
恨みや呪いは
長い時間をかけて蓄積された
それが固形燃料化したものだと
たとえます。
怒りが一瞬に燃え上がるの比べ
固形燃料化した怒りは
延々としつこく燃え続きますねえ・・・笑!
人間に怒りがあるのは
やはり生命保全のために
危機に対する防衛だと思いますから
怒りというのも、
とても大切な感情です。
しかし、特に日本などは
怒りに対して恐れがあり
偏見があり、
怒るエネルギーを封じてしまうという
社会の共同通念があり
怒りはやっかいな悪役にされて
とても気の毒な位置におしやられています。
怒りを出すのはダメな奴で
怒りを我慢する人間のほうが
美徳として
受け入れられる。
困ったもんです。
でもね
本当のところ、
人間そんなに甘くないんですぞ。
美徳なんかで
治まるはずが
ナイ!
カウンセリングの理論に
スタンプ集めというのがあります。
人間が怒りを内向させたとき
我慢する代わりに
自分の無意識のところにあるスタンプブックに
一つスタンプをおして行きます。
一つ、二つと我慢するたびに
押されたスタンプが
収集ブックいっぱいになったとき
これだけ自分は怒り我慢してきたんだから
もういいだろう、
もう我慢できない・・・と
怒りを爆発させます。
たまりに溜まった怒りのガスを
抜いて、
自分を解放させようとします。
いわゆる
キレるってやつですね。
こうなると、時と場合によっては
ほんとうに取り返しのつかない事態が
起きてしましす。
またスタンプ収集がさらに
爆発のガス抜きまで抑圧してしまうと
今度はもうエネルギーの通路まで
ふさがってしまい
”鬱”や”無気力”になっていきます。
絶望してしまうのですね。
ちょっと嫉妬というテーマから
少しそれてしまいましたが、
怒りも嫉妬も初期段階に
そのエネルギーを発していれば
たいして問題ないのですが、
特に嫉妬に関しては
嫉妬するほうが悪いような
或いは嫉妬する人間は
格下のような扱いを受けてしまいますから
たいがいのひとが
自分が嫉妬などしていないふりをします・・・笑!
昨日も書きましたが
しっとの裏には
自分が正当に評価されない、
絶望まではいかなくとも
自分の扱われた方に対する
大きな嘆きがあります。
またそれが
相手側の心のなかのことですから
へたに介入もできず
自分ではどうにもならない怒りを
そのままぶつけるということに対する
怯えや不安が内向して
なおさら自分が封じ込められいきます。
苦しいねえ・・。
結論から言います。
怒りも
嫉妬も
育てては
いけません。
怒りがきたら
ああー
自分が不安定になってるなあー・・と思ってあげることです
そして
できたらどうして怒っているかを
あいてに伝える。
その時、一呼吸おいて
相手が受け取りやすいように
また
相手がきちんと理解でき受け取れるように
伝える。
怒りはパワーですから
場合によっては
パワーの衝撃だけしか伝わらないで終わってしまい
もったいないです。
そして怒りを抑えていると
怒りがだんだん育っていきます。
もとは、ほんのささいなことが
どんどん雪だるまのように膨らんでゆく。
また日ごろのうっぷんもついでについてきて
怒りを育ててしまいます。
まあ
子供のように喧嘩できたら一番いいです。
時には掴み合いも
殴り合いもいいと思いますが、
今の世の中はどんどんそういうことに対して
禁欲的で、困ったもんです。
嫉妬も初期段階で
ちゃんと相手に伝えることです。
何だか嫉妬心が起きてきちゃんったんだけど
どうなのさー・・・くらいあっけらかんと言えると
いいです。
嫉妬のほうが怒りより
自分が育てやすいので
どんどん育ちます。
なぜなら
嫉妬には
蜜の味があるからです。
自分を憐れむという蜜の味です。
倒錯したエクスタシーです。
被害者という受け身の
絶妙な蜜の味です。
最後に
私は
怒りにも
嫉妬にも
おおいなる
市民権を与えたいです。
どれも
人間が生きてゆくために
必要な
エネルギーです。
とくに今の日本には
怒りのエネルギーが
奪われてしまっています。
怒りによって
取り戻さなければならない
人間の尊厳がどんどん浸食されて
事なかれや
無気力のはてに
傍観だけが武器のようになってしまいました。
生きることは
与えられることでも
お任せすることでも
ありません。
自分が耕し、種を撒き
育てていくもんです。
その途中でもし
障害や敵がきたなら
自分が耕し育てたものを
自分が守らなきゃー。
自分の大切な世界を
浸食するものは
許さない!
そうして
逞しく
い生き延びてほしいです。
戦ってごらんよ、
、
はつらつと
戦って
自分の手で
幸福を手に入れて
ください。
戦うとね
案外
敵も
いいやつかもしれませんよ!
多分ね。
●おまけ!
明日、気が向いたら
喧嘩の仕方を書きます。
必勝するための
極意です!
嫉妬と怒りのお話。心がスカッとしました。
私は、自分の怒りに気づかず無気力になったり絶望してしまう事が多いので……
戦わなければならないと分かっていても、それは手探りで怖くていつも逃げてばかりいます。
私自身は嫉妬する事も、嫉妬される事もとても怖いのです。
そのどちらかを見つけてしまうと、私は身動きが取れず、嫉妬されれば私は自分を卑下し相手より下手に出ます。
無理やりに自分の気持ちをねじまげているから、
伝心柱さまの記事を読むと、いつも心がほっとします。
いつも、少し勇気が出ます。
ありがとうございます。
何年か前からこのhpを拝見して、学習させてもらっております。
数年前には理解できなかったことが最近再読すると解ったりと心のことは、その時のその人の状態で変ってくるものですね。
わたしもいつの間にか怒りを抑えて生きてきてしまった一人です。
怒りどころか、自分の意見さえきちんと言えずにストレスを溜めていました。
denshinbashira 様や色々な方が教えてくれている事を参考に、少しずつ変れてきてはいるとは感じています。
それでも最近もっと早く解決できれば、とカウンセリングを受けようかと思っています。
そこで教えて頂けたら有難いと思うのですが、
個人カウンセリングを受けるのと、心理学を学んで自分で解決に取り組んでゆくのと、どちらがお勧めですか。
いきなりの質問で恐縮ですが、denshinbashira 様の書いておられることに共感する部分が多いので、参考に意見を伺いたいと思っています。
どうぞ宜しくお願いいたします。
ps:喧嘩の仕方、楽しみにしています。
自分で学んで取り組んでいくだけでは解決は不可能、というのは、どういうことからなのでしょうか。
時々カウンセラーの方たちの話でも、「自分はこういう仕事をしているけど、また自分の中で問題がある時は、カウンセリングを受けに行く」と聞いたことがあります。
たとえ、とても腕の良いカウンセラーになったとしても、自分の心のことはそう簡単には自分では解らない、ということなのでしょうか。
続けての質問ですみませんが、とても興味があります。
denshinbashira様のペースでお返事を貰えたら、嬉しいです。