人生の極意は、他人の中に深入りしなーい! |
深入りしない!
他人の感情の中に
深入りしない。
このことがもっと早くわかっていれば
どんな楽に生きれたことか・・・と
思います。
この歳になり
自他の分離もかなり進んできてやっと今
「ひとはひと・自分は自分」ということが
さっとできるようになりました。
このことは口で言うほど
たやすいことでは
ありません!
諦めのニュアンスで
「ひとはひと・・・」」なんていっているのとは
違うのですよ!
まあ最近の人間に関する自然科学の進化で
人間はいかに”個”を生きているかが
証明され始めています。
ちょっと小難しいというか
理屈っぽくなりますが
書いてみます。
科学的に見たら、
自分と他人は
まったく
ちがう世界
違う文化
を
生きてるんですね。
だから
てっきり
自分も他人も
同じ日本人どうしだから、
夫婦なんだから、
親子なんだから
友達なんだから
仲間なんだから
そう違いはないだろう・・・。
分かっているだろう・・・・。なんて
考えていたら
とんでもないのです。
もし何かの機械で
人間の脳を映像に転写できるようになったら
あまりにその違いに
ショックを受けるかもしれない!
ショック死する人が出るかもしれない。
きっとみんなびっくりするでしょうねえー。
人間関係の深層心理には
自分が孤独だとは思いたくない、
なにから何まで、すべて、
自分が選択、決断、決裁、しなければならない・・と
いう事は避けたい、したくない。
すべては自分が責任を負い引き受ける・・・ようには
なりたくない、したくない・・・という
自己回避や、自己防衛や、小児的甘えが
ありますから、
社会には
親孝行伝説とか友達幻想とか
集団における共同幻想とか
さまざまに
自分の孤独をカムフラージュし
自立・・と云う厳しい現実を
粉飾してしまおうという
私に言わせれば、
意識の詐称、意識の錯覚、意識の偽装が
行われます。
しかし
現実というか
人間関係の実相には
そういう陽炎のようなものなど
通用しませんから
当然
錯覚から覚め
夢からさめたときには
トラブルが起きます。
自分が期待し、寄りかかろうとしたものが
もともとない・・・なら
ああーやっぱり・・で終わりますが、
もともとない・・・なんて
夢にも思っていない人間達は
何とか原状復帰できないかと
相手が悪いとか
自分に非があるのではないかとか
原因になったことなにか・・と
苦しみます。
しかし
もともとそれらは
ないのですから
原因になったものがないのにもかかわらず
さがしてもそれはほんとうに徒労で
いつも
諦めとか
しこりとかの
不全感を残してしまいます。
人間の中には
自分が孤独にならないために
他者を支配したいという
支配欲や征服欲がありますし、
逆に
その欲求、欲望が翻って
親孝行物語、友情物語を作り
社会に対しては
道徳的美談や
感動物語、
献身的人間物語などなどに特化して
人間の意識を脚色していきます。
さらにひどいものは
権力者の美談や
独裁者の伝説などに
脚色したマインドコントロール
そして
民族紛争や国家間の戦争の原因とも
なってしまいます。
その実態はドロドロしたその欲が
綺麗にレイアウトされ
過剰に包装されて
幻想化し
その属する集団、民族、国家のフレームの中
意識の中に叩き込まれてきました。
そういう意識の歴史の中を
私たちは歩いてきたのですね。
なぜそうなるのか・・・については
思想、哲学、心理学、人類学や社会学
それに生物学、脳科学や物理学など、
ありとあらゆる分野を総動員して
人間の解析と説明をする時代に入ってきたと
思いますから、
これから少しずつパンドラの箱が
空いてくると思います。
経済も産業も
学問、科学を動員しながら
人間とは・・・と考察
解析なくしては、立ち行かない時代に
入ってきたと
思います。
そして
すこしずつですが
すでに覚醒を始めた人間たちが
出始めてきているように
思います。
ほんとうは
誰もが
たったひとりの自分を
抱えて生きている。
このことを自覚しなければならない
時代が
来ているように
私は思います。
でも
しかし
ほんとうに
自分がひとり(個)だと
自覚することは
恐ろしい事なんでしょうか・・・?!
私に言わせれば
この世のなかの争い、悩み、苦しみのほとんどは
この自覚さえありすれば
起きてこない!
苦しめられない
逆に言えば、人間のほとんどの苦しみは
自分の孤独を他者(だれか)に搦め、依存し
支配し、所有しようとして起きる、
他人との格闘、葛藤、奪い合い・・・からくる
エゴどうしの戦いだと
思います。
しかしその多くは
自分と他者を混同して
ごっちゃになっている
人間観からきており、
すなわち
自他の分離ができていないからだと
思います。
自他の分離が、
意識だけでなく、体全身を走る神経細胞の
感覚分野まで
及んでいないと、
無意識に
自動的に他人と自分を一体化したり
混同したりしてしまいます。
典型的な例、身近にある些少の例から言うと、
何か話しをしたとたんに
他人の話を分捕りして
自分の話にすり替えていくおばちゃん!・・・笑
そして
他人のことを自分のことのように
かんじてしまう、善意の人、その反対の
被害者意識の高いひと。
アイドルとかタレントに群がるファンと称する
依存の人々。
正義の味方のごとく
人を裁くマスコミ、ジャーナリストの
人間たち。
政治家に対する幻想をもつ選挙民。
いつも騙され裏切り続けられているのに
まだ幻想から覚めない・・・日本の国民
何人の首相を取り換えれば
目が覚めるのかなー?
最悪なのが
他民族や国家まで
自分達と同じようにしようとする
アメリカ始め列強諸国の
グローバル主義、
そこにあるのは地域環境条件によって
独特の文化と歴史がある・・という事を
ブルトーザーのように踏み潰す
愚鈍な神経と欲望!
そして
他国に自国の産業のやり方を持ち込み
リトル日本の工場を作る、日本の企業、
これはどんどん
しっぺ返しをうけて敗退していますねー。
愚かしいことです。
優先すべきは、
現地の人々の幸福であり、
日本人の都合ではナイ!
これからは、
相手国の文化と独自性を尊重したうえで
自国の高い技術水準と経済の交流を図る時代が
来ると思いますよ。
文化人類学のようなフィールド調査が
必要ですね。
そんな中
分離ができた人だけが
醒めて、群がらず
自分の道を飄々と行きます。
行くことができます。
人間と人間が”関係”を結ぶ
原理として自覚しなければならない
すべての基本は
他人と自分は
まったく違う世界を生きている。ということです。
自分を譲渡さず
他人を所有せず
親子と言えども
親は子を手放し
干渉せず、子の独自性を見守る。
子は自分が直面し経験ながら
自分独自の道を探して生きる。
夫婦と言えども
それぞれの個の独自性を信頼し
お互いを所有しない。
違いを
当然のものとして
他人との関係
社会との関係を
築く。
もうこれだけで
ほとんどのトラブルや
苦しみから
解放されます。
そして
自分の独自性に目覚めた人だけが
他人の独自性を尊重できます。
私のカウンセリングの恩師は
他人に親切にすることや
手を貸すことも
その人が自分の力を発揮するチャンスを
奪うものとして
安易に手出しをすることを
戒めました。
私はロスアンジェルス地震の
救援ボランティアとして
ロスに行ったとき、
救援センターで
初老の女性が水タンクを受け取り、
車に運ぶのを
手伝いましたら、
彼女が自分でできることもまで
助けてはいけないと
現地のボランティアに
怒られました。
人間はできる限り自力で生きる力を
養う・・それがいきることの根源原理であり
そういう生命力を育て向き合うのが
ほんとうの愛情でしょう。
お互いが自立した関係で
しっかりとした信頼の絆で
結ばれること。
そこには
人間の尊厳と信頼があります。
その極意は
まず、
冒頭の
『他人の中に
深入りしない!』
だと
思います。
さいごに
良寛のことばを
どうぞ!
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候』」
人生の達人の
言葉です!
そこに気が付いていくことこそ、自分の道をしっかり歩くことができると
思います。
今まで生きてきた時間の長さよりも圧倒的に少ないであろうこの先の(死亡までの)生きる時間を、何に向けて集中して生きていこうかと思いを巡らし試みていた矢先でした。感謝合掌。
一言で表現した今の気持ちです。
様々なものの後ろにある動機・・
何度も読みました。信じてきた正しいことの後ろにあるもの、そして、同じく自分の言動の中にも沢山の偽善がきっとあります。正論で相手を説得しようとする奥にある本当の欲。なぜか躍起になること。
またまた衝撃の内容でした。
これから心の大掃除をしていきます。