信長の狂気と秀吉の狂気! |
NHK大河ドラマの信長を見ながら、
そうじゃないだろう・・・多分
こうじゃなかったのかなあーという
私独特の信長論で、
大河ドラマのそれはそれでいいとして
読んでくださるかたは、
私の分析が
そうかもしれないが、
そうじゃないかもしれない・・・くらいのスタンスで
お読みいただけたら
嬉しいです。
信長の狂気
秀吉の狂気について、
ご存じのとおり信長という武将は
その激しい気性と既成に捉われない自由さを持ち
神仏を恐れず、一切他者の言には従わず
そして最後は自分を神にまでしようとした人間です。
当時の信長のことを
ルイスフロイスは次のように書いているらしいです。
声は甲高く、常に武技を好み、粗野である。
正義や慈悲の行いを好み、傲慢で名誉を尊ぶ。
決断力に富み、戦術に巧みであるが規律を守らず、
部下の進言に従うことはほとんど無い。
人々からは異常なほどの畏敬を受けている。
酒は飲まない。自分をへりくだることはほとんど無く、
自分以外の大名のほとんどを軽蔑しており、
まるで自分の部下のごとく語る。
良き理解力、明晰な判断力に優れ、
神仏など偶像を軽視し、占いは一切信じない。
名義上法華宗ということになっているが、
宇宙の造主、霊魂の不滅、死後の世界などありはしないと明言している。
その事業は完全かつ巧妙を極めている。
人と語る時には遠回しな言い方を嫌う」と記した。
(ウキペディアより)
こういう信長を見るたびに私は彼の狂気は
その狂気の原因になった人間がいて、
その人間の狂気を超える狂気を
自分の中に作り出さないと
彼の狂気が危機に陥った・・・・のではないかと
思うのです。
多分それは彼の父親信秀との葛藤の中で
トラウマになったのではないかと
思います。
信秀の狂気をいかに自分の狂気で越えていくかという
父親の狂気をそれ以上の狂気で超えるという
信長の内的戦いの結果が常に
妥協を許さず相手を完膚なきまでに否定する。または
平気で残忍な殺戮を繰り返し、
自分以外をすべて平伏させる
自分を”神”の位置まで上げなければならない
必然があった。
単なる支配欲や征服欲ではなく
人間を超越する位置まで行きたい・・という
願望、欲望の裏に
実は
誰にも知られない彼の素顔
限りない怖れと不安と孤独のなかで
おののく自分の危機があり
それらは尋常ではない。
多分信長の狂気は、それほどまでして
克服、或いは
超えなければならない人間が彼の内面にいたとしか
思えない。
単に彼が実母に嫌悪されたとか疎外されただけでは
その反動として、やんちゃや暴力も考えられるが
母性の愛情を対象とするには
あまりも恐怖の質が暴力的でかつ権力的です。
スケールとしては男対男の内容で
母親のこともあったかもしれないが
当時の女性の位置からして
やはり
父親との葛藤だと思われます。
そしてそれが尋常でない狂気どうしの戦いで
まあ戦国時代は血なまぐさい狂気の貌をした時代ですから
信長だけではなく、時代そのものが狂気だったと
思いますが
子供時代の信長が深層心理の奥深くに
潜ませ、抱いてきた
生きる、存在することを全否定されるような
怯えだったと
思います。
そういう信長の狂気は、絶対自分に敵対するものを
存在させないと同時に
すべての価値の基準が自分ですから
同時代の人間たちが持っているい意識のフレームを
軽々と突破するひらめきを持っており(あるい自分に許しており)
自分の興味を引くもの、あたらしいもの
珍しいものを取り入れえることができたのだと
思います。
最近読んだ茂木健一郎さんの本で
「マインドセット」という言葉があります。それは
思考の枠組みのことで、
一般的には無意識、或いは潜在意識にある
自分のからだに沁みついている、
自分が育った社会で暗黙の裡に前提になっているもの」
(世界一自由な脳のつくり方・・・かんき出版)
で、
私流に言えば、人生脚本の原本・・・とでもいいましょうかねえ。
そういう”マインドセット”を
信長は果敢に枠を突破して書き換えて
生きいていた・・から
既成観念…マインドセットに囚われていた普通の武将などが
相手になるはずがなのです。
そして
そういう彼の深層心理には
彼自身も気づいてない、恐ろしい怖れや、不安が潜んでおり
何かの拍子にその釜の蓋が開いたとたんに、
彼の形相が変わり冷酷非道な怒りが湧いてきた・・・と
私は思います。
そうい彼の狂気の淵をよーく見抜いていたのが秀吉です。
秀吉はもともと百姓、農民といわれていますが
中にはもっと下の下層の人間であったのではないかという
説もあります。
私はおそらくそういう農民よりもっと下層の
浮浪民ではなかったかと思います。
なぜなら、農民ならまだムラなり共同体の秩序の中にいますが
どうみても秀吉はそういう秩序からも逸脱しており
共同体の富のおこぼれもないが
その掟も法もなんら意味をなさない
ナンでもアリの浮浪の民・・・ではなかったかと
思います。
つまり彼が上を見上げれば
自分以外のにんげんはすべて
自分の身分の上にいる・・・というスタンスの
意識である故に、生きるためにはなんでもアリ、
事と次第によってはいかなる手も使う。
そこにある善悪だとか、道義だとかなどを
ヒョイト越して、自分のマインドセットをセットし直すという
頭、意識の自由さがあるからです。
失うものは何もない…という事ですね。
信長が恐怖と怖れの潜在意識をもっていたとしたら
秀吉はその逆の恐怖や怖れがわずかにしか作動しない
図太い潜在意識で、多分
このふたりは両極に対となって存在していたと思います。
おそらく家来のなかで
信長が考えていることを理解したのは
秀吉ひとりで、(実はもう一人いるんですが)
信長は秀吉の楽天性に救われたと思います。
秀吉だけが、彼を恐れながら下から顔色を窺うようなこともなく
信長の思いを察したと思います。
ふたりともが自由自在にマインドセットを操作し
そして常人が思いもつかないことをやってのける才能を持ち
信長の思いを請け負いながら小回りの利く秀吉が
現実管理をする…という風なことで成功しつつあったのに
おそらく人間としてはかなりまっとうであったと思われる
明智光秀が、信長を理解できないが故に
信長の”虎の尾”を踏んでしまいます。
明智がもう少し聡明で信長の狂気を見抜き
距離をうまくとりながら立ち回れたら好かったんですが、
そういう小ずるいこともできなかったんでしょうねえー。
そうして信長はあっという間に
明智に殺され、
秀吉がびっくり箱のように
飛び出して来て
天下をとりました。
びっくり箱というのは
多分信長以外は
秀吉の正体を見抜く武将はいなかったのではないかと
思うのです。
多分他の武将たちは
時代のマインドセットのフレームでしか
秀吉を理解できなかったと思うし出自が
出自ですから油断していたと
思います。そして
この機を待っていたとばかり
秀吉は世界を乗っ取っていきます。
しかし
信長の怖れの狂と
秀吉の楽天の狂が両極で対をなしてバランスを取っていたときには
よかったのですが、
信長というブレーキ(怖れ)が無くなったときから、多分
秀吉の狂気が加速に回転しだし、それまで信長が請け負い、秀吉は
シフトしなくてすんでいたっていた負の狂気
すなわち信長が持っていた深い人間不信や猜疑心が
秀吉の潜在意識の中にシフトしだし始めます。
まあ天下を取ってからの秀吉のことは
あまり知らないのでこれ以上はかきませんが、
臆面もない成り上がり文化や成金趣味などや
残忍な殺戮など、彼の内部の闇が顔をだしてきたのだと
思います。
さて
このふたりの狂気をじーっと眺めていた人間がいます。
それが、第三の人間、徳川家康です。
徳川家康は
このふたりのとてつもないフレームの逸脱を
ゆるやかな常人のフレームに戻していきました。
ひとり、ふたりの傑出した狂気の才能ではなく
衆目をいかし大勢の人間の知恵を取り入れ
それが江戸時代として息の長い時代をつくったと
思います。
信長、安土城を建てて6年で死に
秀吉は 信長の死より16年後に死にました。
狂気と才能を駆使しての天下取り
しかしふたりともが
なんとはかない
天下取りだったかと
思います。
最後に
信長はこのゾッとする形相の狂気の裏にある影を背負い
秀吉の光をつけたしてながら
秀吉は闇の冷酷を信長に委託し
光で人をたらしこみながら
狂貌の戦国時代を
駆け抜けていきました。
それをじーっと眺めていた家康が
なにを考え、醒めていったか・・・。
三人とも私は大好きですが、
それはそれとして
信長が用いた種子島鉄砲から
幕末の龍馬がふところに秘していた
ピストルまでやく300年
日本では武器が発達しませんでした。
でも
この大きな時間の中に
大切ななにかがある様なきがします。
なんなのでしょうか・・・・ねえ・・?
まあ
私の勝手な推理と分析です。
不備だらけですが
お許しいただいて
長文をお読みいただき
ありがとうございました。

人間としての深い闇を持ち、誰もがおなじようにあがいて生きたと思います。
深層心理の真相。本当に心ある人で無いと読めないのもです。
hashiraさんの心の温かさを感じます♡^^
この記事を拝見して、また自分自身、或は26年連れ添って来た夫の心理も見直しています。
ありがとうございます!
PS、”就職氷河期”の記事、是非出版されてはどうでしょうか?
現代の日本には、”大人(一人の自立した人間)になる”と、いう事を教える風潮が少なすぎる!と、海外から見てても思います。