成熟する! |
どうしても
慈しみとか深い愛情という言葉が
浮かんでくる。
どうしてだろう・・と思うが
多分わたしの認識の中に
そういうイメージがあるのだろう。
人間が生きる年月ともに
熟していく。
喜びや悲しみや
苦しみの山を越えるたびに
何かを捨て
何かを拾いながら
自分(人間)の本当の姿に
直面していく・・ってことかなあー。
世の中の皮相的なものにごまかされず
人間の深い本質に目覚めていくことかなー!
おととしの暮れに行った
京都、広隆寺の観音様の中に
投網を持った観音様がいて
その投網でこの世の大海で苦しむ衆すべて、
ひとりも漏らさず救いあげてくれると
札に説明がかいてあった。
成熟するとは多分
こんなふうな人間への共同意識が
湧いてくるのかなーとも
思います。
おそらく
自分の内面を取り出して鏡のように見たら
そこに人間の原型のひとつが
写っているように思う。
また
自分の想定をはるかに超えて
様々に起きてくる
或いは
自分に襲ってくる
人間の世の諸々もまた
人間の存在の原理というか
そういうものの
バリエーションで
この世は魑魅魍魎の
闊歩している妖怪世界でも
ある。
しかし
そういう妖怪世界を
えんやこら、えんやこら越えていくうちに
私やあなたの中に
雪が降り積もるように
無言と静寂の充実が生まれ、
整理された感情と
生きる理りが
熟してくるのだと
思います。
深い愛情でわが子を見れば
世の中の流行りに流されず
その生命が全うされることを願うには
何をどうすればいいかが
見えてくるでしょうし
エゴの欲や執着の自我のすさみに
に捉われたりする弱い自分を
飼いならしながらも
本質的でたいせつなことを
優先させていく勇気は
その人を熟させていくと
思います。
鏡に映る自分の弱さや醜さは
どうように他者の中にもある弱さや醜さで
人間の葛藤はこの稚拙さから
出発する。
人間の生きる道理のひずみに湧いてくる
濁りをも共有して
私たちは熟していくのだと
思います。
この世の皮相ではなく
魂の底から湧いてくる
善きことも悪しきことも
人間の存在の矛盾すべてを
掌に包み込んで
年齢が重なっていく
そういう熟しかたがいいなあーと
思います。
できれば
常に生と死を射程し
自分はどう死ぬのかと
問い、
更に
生と死の間を
自分はどのように
人生を運んでいく行くか…というところまで
想定できたら
100点でしょう。
『濁れる水のながれつゝ澄む』
種田山頭火
こんな風にね
少しずつ
澄みながら
生きたいです。